HPへ
□ 偏差値70からの大学受験--応援情報--

 斉藤君が早稲田大学を卒業し, New York の大学で語学を猛特訓した後,そこで語学教師の職を得て,今度は 命がけだが 大人の努力 に邁進しています.『偏差値70からの大学受験!? ぼく、偏差値大好き』 の管理も masaoさん にバトンタッチして,新サイト『偏差値70からの大学受験U サイトーさん偏差値大好き』 に移行しました.

 これを機に,こちらも 受験・学習参考書としての『高校数学+α』 の後半に載せておいた「偏差値70からの大学受験!? の関連情報」をここに移すことにしました.今後はサイトー君の 大人としての成長 を応援していきましょう.これを読んだ君も成長するのだ!(2006.10.03)




◆ 偏差値で検索しているときに 偏差値70からの大学受験(新サイト)というホームページを見つけました.凄まじいばかりの受験との格闘が書かれています.彼の姿勢に全面的に賛成はできませんが,“そして僕は勝った。それは「受験」にではない。その先にある「自分自身」に勝利したのだ。”という言葉は真に努力した人のみが言えるものです.大学に合格した今,今度は「何」との戦いで「自分自身」に勝利しましょうか.今度はその「何」が決定的に重要です.(2004.01.12)

◆ 「全面改訂について 投稿者:管理人  投稿日: 2月 7日(土)07時40分9秒 」がありました.今の“僕”のことも書いてあります.(2004.02.07) しょっちゅう覗いているのだが,文は本当に上手い.もしかしたら,“全てが fiction (作り話)” ではとの疑念も起こる.(2004.02.28)

◆ 「(無題) 投稿者:その後 投稿日: 3月 4日(木)21時57分21秒 」がありました.“最後に彼(シンジさん)のメッセージを記し、終わりとしたい。 「社会」で一流になるには、「受験」での数倍の努力が必要となる。だから「学歴」だけで終わり、「社会」では使えない者も出てくるだろう。それが世に言う「学歴批判」だ。しかし「受験」程度の努力が出来ず、鍛錬を否定し続けた者が、「社会」で一流になることだけは絶対にありえない。これだけは「真実」だと思う。”とありました.こういう人大好き.(2004.03.05)

◆ 「改めて当サイトの経緯と、読者の方々への返信 投稿者:管理人  投稿日: 3月21日(日)18時33分20秒」 がありました.
私自身の「その後」は現在勝負の真っ最中であり、まだまだこの時点では公表する程のものではありません。気にしてもらえるだけありがたい限りです。相変わらずがむしゃらにやっています。毎日必死に上だけを見つめて。ただあの頃と大きく違うのは、良い仲間に囲まれていること。大きな夢と、それに対するとてつもない行動力を持った友人達には、大きな刺激を受け、常に自分自身の糧になります。

今思うことは、必死で努力し続けていると絶対に後悔だけはしない、ということ。結果がどうだ、その意義がどうだとウダウダ語る時間があるならば、今すぐにでも行動することが大事なんだ、ということ。理由付けはどうだっていい、そのフィールドは何だっていい、ともかく自分に言い訳せず、今精一杯努力して夢に向けて前進し続ける人が一番尊敬出来るし、何より感動します。
自分もそういった高い意識を常に持てる様頑張らねばなりませんが。。。(2004.03.22)
◆ 私の書き込み「出版作戦 投稿者:tad  投稿日: 3月23日(火)00時56分28秒 」を見て,斉藤さん本人から感謝のメールが来ました.思った通り,謙虚で真面目な人だった.応援してますよ.(2004.03.25)

◆ 「こんな狂ったサイトに感想などもったいない 投稿者:管理人  投稿日: 7月13日(火)18時16分50秒 」がありました.
でも感想ありがとうございました。
その後編を必ず8月前半に載せます。
いよいよ斉藤さんの大学入学後の物語が見られます.すさまじい受験勉強の後はどうなっていくのか.皆さん,乞うご期待.(2004.07.14)

◆ 「その後・・  偏差値70からの大学受験ラスト〜「その後編」と「お別れ」」がありました.齋藤君ともこれでお別れです.
「偏差値70からの大学受験」とはいったいどのような物語だったのでしょう.私なりに 総括 してみます.
私にとってこの物語の重要性は,受験戦争を勝ち抜いたヒーローを愛(め)でることではなく,死にもの狂いの努力が人をどのように変えるか を見きわめることであった.したがって,大学中にビラを貼り出したのが本当だったかどうかなどは重要ではない(たぶん,脚色であろう).
まず,タイトル「偏差値70からの大学受験」について.齋藤君が神戸大学夜間部に入学してから早稲田大学政経学部に合格するのに2年を要している.彼の偏差値が70になったのは1年目に失敗して2年目に入ってからだから,1年目の失敗が彼を死にもの狂いにさせたことは確かだ.
1年目,彼なりに頑張り,勉強方法も徐々に確立していったものと思われる.だが落ちた.このときである,彼が“自分の存在理由を失った”のは.人が必死になれる理由はこの1点にある.これ以後かれは偏差値の鬼になる.
著者サイトウ君は親友カズヤを登場させ,彼が合格したのに自分は落ちたことで,“僕は彼に狂う程嫉妬し、そして何よりこんな惨めな自分に絶望していた。こんな自分を見たのは、初めてだった。ただどうにもできない。これが僕の真実の姿なのだ。”と表現している.もしカズヤが架空の人物ならば,多分そうだろうが,著者の創作力はすばらしい.
このようなことがあって,
「ついに僕は偏差値70から走り始めた。見たこともない世界がそこにあり、僕は様々な体験をすることになる。「良い大学」に受かって、人から認められたい、そして何より、自分で自分を認めたい、こう強く願っていた。その気持ち僕をここまで動かした。」
となる.
そして,彼は偏差値80を目指す.ここで偏差値と学力が一致しない理由が述べられている.
「勉強方法は分からない。予備校で分かりやすく解説してくれる授業を、取るお金なんてどこにもない。そんな事は関係ない。「ともかく覚えればいいんだろう。苦しめばいいんだろう」こう心に決めると、僕は4教科目に手を出した。理解とかそんなこと関係ない。参考書を片っ端から覚えていった。  例えば「ケインズという学者は、ケンブリッジ学派に所属している」という項目があったとする。そうしたら、僕は何のことか分からないけどその名前を覚えた。問題で「ケインズはどこの学派?」と聞かれたら、答えられるようにだけした。その解答パタ−ンを覚えた。ケンブリッジ学派って何の事?って質問されても、もう分からない。つまり暗記しまくりで、立体的に理解したという訳ではなかった。興味なんか何もない。試験で得点出来るためだけの勉強法だ。ただ機械的に覚えてやった。  「この教科に興味がある」だとか、「この教科を勉強していけば、大学に授業で役に立つ」とか関係ない。ウダウダ能書をたれている暇があったら、何でもいいから得点を稼ぎ、偏差値をとらなければいけない。そして合格しなければいけない。」
この責任はひとえに出題する大学側にある.学生のレベルが低いことを嘆く大学教授はこの点を改善することを第一義にせねばならない.
そして,齋藤君はめでたく合格した.彼は自分の戦いの後を冷静に見直す余裕ができた.
「学歴社会ほど、人に優しい社会はない」,「いくらでも失敗していいよ、君はやり直せるんだから」
というのは普通の感想である.重要なのは
ただひたすら上だけ見つめてがむしゃら走り続けたら、ほんの少しでも自分自身の新しい「可能性」を見つけ出せた。
の部分である.がむしゃらに努力して初めて“自分はやればできるんだ”ということが分かる.私が「偏差値70からの大学受験」を高く評価するのはこの1点につきる.事実,大学における彼は
「初めつらいけど、どんどんやりだせば楽しくなるランナーズハイ」、これがどんな事でも自分を新しい可能性へと押し上げる「流れ」。
で真の実力をつけていった.
私が高校生や受験生に「偏差値70からの大学受験」を勧める理由は次の点にある.
 僕の貴重な仲間に、公認会計士、司法試験、はたまた大学院へ学問のプロを目指して、日々見習うべき努力に励むヤツらがいる。勉強だけじゃない。演劇や音楽の道に熱中し、真似できない頑張りを見せてくれるヤツらがいる。 「どうしてそこまでやれるのか」、そう問いかけたとき、 彼らには共通して、今までも何かに打ち込んできた経緯が必ずある。それが受験であったり、スポーツであったり、ともかく必死に何かを追いかけて、自らの「実行力」を着々と磨き上げてきた過程がある。
 人はいつか果てしなく大きな夢を見る時がやってくる。その時に必要なことは、その高みを明確に捉え、惜しみなく努力を注ぎこめる「実行力」。  僕は階段を一歩ずつ歩みながら、日々「実行力」をまずは磨きたい。努力しているなら、上を目指しているなら、その時間は決して無駄じゃない、それだけは少しずつ分かってきた。「楽した方がいいよ、過程なんて関係ない」「結果こそが一番大事」、こんな言葉がいかにくだらないか。ようやく分かってきた。  夢の基準は結局全部自分の中にあったんだ。
最後に推測を一つ.
気がつけば教授の研究室に通い、また自分でどんどん勉強を始めている。
「君の力が試験で測られているうちは、真の学問ではない」、こんな言葉にいたく共感し、TOEIC900点、国連英検A級など主要な資格はその過程でとっていった(英検1級は惜しくも未だ取れていないが(笑))。
とあるが,
シンジさんのその後
でも
英語の勉強を脅威のペースでヤリまくり、確固たる「英語力」という武器を身につけた。ちなみにTOEICは885点、国連英検A級取得。受験で培った努力は、こうして彼を次の段階へと押し上げたのだった。
とある.実は,シンジさんは存在せず,大学生となった主人公を『シンジさんのその後』でそっと伝えていたのではないか.そんなふうに思えてきた.

ともあれ,齋藤君またはサイトウ君,留学おめでとう.どんどん人生の階段を上っていってくれたまえ.「偏差値70からの大学受験」を読んで「実行力」を磨く人は少なくはあるまい.偏差値を極める先に存在するものが「自分自身の新しい可能性」であることが理解されれば,「偏差値70からの大学受験」に入っている“毒の部分”を薄めた形で「ドラマ」に取り上げてくれる誰かがきっと現れます.それを楽しみに行ってらっしゃい.( 2004.09.13 )

◆ 私の総括に,ニューヨークのサイトウ君からメールが届きました(2004/09/15 10:41) .ちょっと迷いましたが,私だけの秘密にしておくのは勿体ない.全文を公開してしまいましょう.
あのような狂ったサイトのために、 素晴らしい総括ありがとうございました
読ませてもらいました
ここまで私の創作意図を見抜かれたのは初めてです(笑
あそこまで言って頂けると本当に嬉しかったです
本音をさらにバラせば、確かに物語の順序は脚色しましたが、大半は本当です。そしてカズヤ、シンジは存在します。事実大学での良き友でした。留年しましたが今は就職を決め、残りの大学生活満喫中ですね
ただしその後編のシンジは虚像です
自分自身が国際公務員も考えていたので
先生のおっしゃるとおり、
そっとその後編を書きました

今はニューヨークの大学に留学し
また今までの蓄積である英語が通じず
全否定され落胆しているとこです(失笑
また人生一からやり直さなくてはならん私ですが
もう少しやってみます
よろしければまたメールしてもいいですか?
勝手ながら人生の先輩としていろいろお話を伺えたらと思います(失礼しました)

先生のご活躍こちらニューヨークより願っております
それではまた
皆さん,“サイトウ君の留学と未来を祝福して,カンパ〜イ!”
そして,“自分自身の「実行力」を磨く決意に,ガンバルゾー!”
サイトウ君,留学した私の先輩が言ってました.映画を見ると英語に早く慣れるよ.
いずれ「偏差値70からの大学受験」と『虚数の情緒』を参考にして,教育論を論じたいと考えています→人が勉強を始めるとき(2005/01/03).君からのメール,いつでも待っています.
( 2004.09.18 )

◆ 掲示板にすばらしい投稿がありました.ぜひ残しておきたいのでここにコピーします.
このドラマの教訓 投稿者:腐ったサラリーマン  投稿日:10月 6日(水)10時54分6秒 」
非常に良いお話しだったと思います。「継続は力なり」、「努力は嘘をつかない」、「何もせずにウダウダいう前に行動を起こせ」ということを教えられ、勇気づけられた人は多いんじゃないですかね。読み出したら止まらずに一期に読んでしまいました。

ただし、2点程気になることがあるので言わせてもらいます。

「やりたいことクソくらえ」に同調された方、この作者の様に、入学後夢中になれるものが見つかり、将来進むべき道が見えてくれば良いのですが、大学合格を「ゴール」としたばかりに、その後何をしたら良いか分からなくなり、路頭に迷わないように気をつけて下さい。現実にそういう人は沢山いるわけですから。

「偏差値絶対主義」の方。社会人の立場からいわせてもらいますと、。社会にでたら仕事のデキルやつ」が偉いのです。大学の偏差値なんて一時的な虚栄心を満たすだけの物に過ぎず、糞の役にも立ちません。「低学歴の人」は仕事で見返すことができますが、「仕事のできない人」が学歴で見返すことはできません。むしろ余計かっこ悪いです。
◆ 検索して見つけた「Zopeジャンキー日記」の記事 も参考になります.( 2004.10.06 )
 
サイトウ君 ,新たな挑戦へ! (2005.10.25)
ニューヨークへ旅だったサイトウ君だったが,今頃どうしているかと日々心配ではあった.だんだん掲示板のケアが減っていき,荒らしがどんどん増えていった.「偏差値70からの大学受験」の与えるインパクトを考えると,それも仕方がないこととも思う.がしかし,全体の内容を大して把握もせず,一部の言い回しだけをとらえて曲解し,作者をこき下ろそうとする次元の低い内容にはにはうんざりしていた.自分のやっていること(または何も努力してないこと)は棚に上げておいて,他人を酷評しては溜飲を下げる輩のなんと多いことか.ただ,サイトウ君に対しても“しっかり管理せんか〜”という思いは募っていったことは確かだ.その件で彼にメールを出してみたが返事はなかった(どうやら,一時的に使っていた仮のアドレスらしい).(彼は夢中になると1つのことしか目に入らない質らしい.それをごく最近納得した).

◆ 留学して一年も経ってから,突然のメールが来た.(2005/10/24 14:29)
失礼します、斉藤****と申します。先生には例の偏差値サイトの件でいろいろと意見を交換させていただいた者です。
返事が遅れ大変申しわけありません。というのもアメリカでの生活は多忙を極めていま す。全く日記には触れていませんが、勉強面では日本の何倍もの量と課題を要求されて います。しかしアメリカ留学でもっとも注目すべき点は、勉強が一番難しいというワケ ではないということです。留学で一番大変なのは、信じられないことですがアメリカ人の友達を作りそして文化に溶け込んでいくことです。勉強ならいくらでも出来ますが、これは本当に自分にとって次なるステップでした。まず英語が通じない、そして文化が違いすぎる
99%の留学生は同じ国同士でかたまり、ただ教室と母国語だけのコミニュティーに帰るだけ。これは本当に留学という時間の無駄としかいいようがありません。国際勉強も相当の努力がないとついていけないばかりでなく、この国に完璧に、この国の文化を身につけることを当初の目標にしてこの留学を開始しました。一切日本語は使わず、一年間過ごし続け、自分を最高潮まで積極的に人のもとへと突き進めた結果、今の・謔、(よう?)な環境にたどり着きました
実際、私が「アメリカという文化を手にする」と目標を掲げたとき、誰も達成できないと言われました。ただ今はその領域にまで近づいています。そういった留学生活が今の私です。TOEFLならば多分現在630点。去年大学生中に大学院の授業をとっていました。こうした学術的結果も徹底的に英語に漬け込んだ成果だと思っています。ただここではそれだけではないということです。やはり文化。そのためにここに私はアメリカにいたいと思います。
学費についてはこのセメスターだけ奨学金借金していますが、今大学の日本語教師に応 募し、かなえば全額免除になります。ともかく、今は全力をもってこの地で頑張るしか ありません。これほど毎日変化と挑戦と、そしてひたすら前に出るという努力の日々はありません。(一部に文字化けあり.解読できた人は連絡を.)
なるほど,分かりましたよ.
単なる英語の勉強だけなら誰でもできる.英語がペラペラになって帰ってくれば,それだけで箔が付くし,就職にも困らない.
だが,“やるからには徹底的にとことんやる.俺はサイトウだ”.と雄叫びを上げたに違いない.そう,それでこそ君だ.“目標は native speaker,native American になり切り,American culture を自分の血と肉に同化するという未知の領域だ! おお,偏差値80を目指したあのときのあの狂った興奮が甦ってくる!.さあ,また crazy days の始まりだ.”・・・といった心境かな.
たったの1年で彼は既に native American と家族的付き合いの領域にまで入り込んだ.サイトウ君が,今度はどんな高みに登っていくか.また楽しみになった.

今度の留学で,彼が具体的に何をつかみ取るかは分からない.もしかしたら,その成果を糧にして,「偏差値70からの大学受験!?」が出版にこぎ着けられるかもしれない.そうあって欲しいものだ(^_^)v.(2005.10.25)

◆ 上の報告を裏付けるさらなる情報が手に入りました.(2005.11.01)
留学へと導いた執念
 英検1級やTOEIC900点超などというただ俗っぽい目標にがむしゃらに勉強していた僕が、ある日フランス人の留学生と英語で会話をしたら、全く話にならなかった。自分自身を徹底的に崩されるような経験だったが、一方で、「英語」の可能性を感じる瞬間でもあった。英語を極めれば、その先に無限ともいえる人間との出会いがあるような、そんな可能性を感じたのだ。そこから執念のように「留学して、英語力を叩き上げ、その先の世界を見たい」、そんな情熱がわき上がった。自分には「留学」しか見えなくなっていた。

 運良く仕事の合間に勉強もできる泊まり込みのアルバイトを見つけ、ひたすら働いた。昼間も語学勉強にかじりついたが、目指す目標を考えると不思議とツラくはなかった。交換留学費用は100万円! まだ足りないと思っていた時、偶然にもバイクで接触事故に巻き込まれてしまった。不幸中の幸いとはこのことだろうか? 皮肉にも保険金が入り、それが経済的に後押ししてくれる結果となった。

 そうして念願の夢がかなった! アメリカでの1年。それは人生の中で一番充実した時間だった。日本で培った執念が、留学中どんなにつらい時でも、何があっても、1秒たりとも無駄にはできないという緊迫感となり、自分自身を突き動かしてくれた。何より僕が得た最高の宝は、多くのCOOLなアメリカ人の友人、世界中から集う学生たちに出会えたことだ。毎晩飽きることなく、彼らと語り明かした日々が懐かしい。アメリカは「人との出会い」において無限大の国のように思う。アメリカというもう一つの文化を手に入れたい、そう思うまでになった。

 満足するまでこの国に残りたい、今はそんな執念に再び燃えている。もぎとったアメリカでの日本語教師職が突然キャンセルされたり、決してすべてうまくはいかないが、それでも何とかアメリカに戻ってこられた(帰国後、卒業してすぐに渡米。現在アメリカの大学院に通っている)。今は何がどうなるか分からないが、いつまでも情熱を燃やし全力でぶつかりたい。そして自分の夢をこの手でかなえたいと思う。

(2005年9月 政治経済学部卒 斉藤 ***)
(2005年10月27日掲載)
著者本人がみんなの前に現れるのは意外と早いのかなという気がしてきましたよ.そのとき,「偏差値70からの大学受験--完結編」が加わるでしょうか.(2005.11.05)

斉藤君,NY留学最後の報告(2006.02.12)
2/10/2006
NY LIFE in NY (日本語訳で舞台裏)

最後なので日本語で書きます。

「斉藤サン、もう日本に帰ったほうがいいんじゃないですか?」。

アメリカに渡って4ヶ月目、もう最初のsemesterが終盤。ある日本人同僚からこう言われた。そう、これが僕の留学生活そのものだった。「人間のクズ」と言われてもおかしくない、そんなトコロまで落ちた僕がいた。

     日本で早稲田大学のNYへの交換留学を余裕で取った。というのも学生生活中は英語をメチャクチャ勉強しており、TOEIC900、国連英検A級など楽々。英検は1級の面接まできた。大学生活はそこそこに楽しんだが、他の連中のそれとは到底違った。学部の授業だって、一度も難しいと感じたことなく片手間で3年半で片付けた。周りからは「ここまできたら留学は当然」「nativeになって帰ってくるだろう」と言われて日本を後にした。実際、もう日本にいて自分をこれ以上興奮させるものは何もない。考えられない。そんなタカをくくって、留学に人生の将来をかけた。

    ところが留学先Syracuse Universityで待っていたのは、人生全ての「完全否定」だった。英語は全く機能せず、第一に周りが何言ってるか理解不能。留学生の話す英語すら聞き取れない。会話不能。
日本に自分の自信の全てだった「言葉」が話せない。そうすると化けの皮がはがれて、自分には何にもなかった。面白みゼロ、何も出来ない。イチローの様にスポーツでも出来れば、言葉を補えるだろうが僕には何もない。そして悪いことに元来の度胸のなさ、挙動不振が益々前面に出て、まさに「クズ」。人間としての魅力ゼロ。ここまで自分を全否定されたのは初めてだった。24歳にもなって、これが事実だった。
今考えれば、「人間」として最低限の生活をしたいならTOEFLは最低600点以上。単語も英検1級ほどは必要で、日本で言うしゃべれる英語教育など、到底到達し得ないほど高レベルであることが分かった。英語は考える以上に難しかった。

    何をするのでも、毎日が非現実。それは言葉、文化が180度違うから。ある人が言っていたが、「ここは日本に比べて重力3倍ある」と。これはまさしく事実。日本では何をするにも慣れていた。自信があった。だがここでは全て分からない。非現実。 そしてこれをも上回るショックだったのが、アメリカ人自身についてだ。彼らは我々(特にアジア人)とは180度違った。考え方、文化、毎日の生活、会話の仕方、感性全部の点で、自分の生まれて持っていたbackgroundとまるで異なる。どうしたら彼らと親しくなれるのか。言葉のしゃべれないmentally retard、さらに人間として面白みなし。こんなヤツと誰がアメリカ人はつるむのか。
事実、ほぼ100%近い留学生全員は、その英語の出来に関わらず自国の国同士のcommunityに属し、授業のときだけ英語につかる。こんな生活を送っていた。その理由は痛いほど分かった。言葉もあるが、アメリカ人のcommunityに入っていくその方法がないのだ。黄色いサルが一人で、白人アメリカ人の中に飛び込んでいく。その姿が滑稽の何ものでもないだろう。事実それをして、’such idiots!!’と笑われている留学生を見た。またそれをする留学生を見て留学生同士でも嘲笑する。そうなると、誰も失敗したくないし、傷つきたくない。
「英語のみで生活し、またアメリカというもうひとつの文化を手にいれる。ここでの生活を重力ゼロにする。」この目標はまさに僕の能力から考えれば、「不可能」だった。どうすれば達成出来るかさえ全く分からなかった。アメリカ人と話す英語力もなければ、何を話せばいいのか。「旅行者」としてではなく、アメリカ人と真の対等の友達になり、文化に溶け込む。冷静に考えたら、誰一人周りで達成してる留学生などいない。
「勉強面」では確かに日本の数倍の事を要求され、確実に日常生活ほとんどを勉強に奪われる。世界中から集まる留学生は、まさに「秀才」。どんな高いレベルの事でも、勉強に限れば「出来て当然」だった。誰も驚かない。(とりわけ僕のいた大学院レベルでのはなしだが。)そんな中で、日本ではありえない話だか、「留学して勉強だけしてるヤツ」はそうした文化の壁をやぶれない「負け犬」としてみれられる傾向まであった。日本では勉強だけしてればよかった。一番だった。しかし、ここではそれをも上回る事が要求された。
勉強だけして、日本人のコミュニティーに属し、いわゆる典型的「留学生」として英語をちょこちょこアメリカ人と話し、そして単位をとって日本に無事帰る。あの時は、これが出来うる最高の目標だった。
しかし、僕はキレた。アタマが完全にイカれた。このままでは日本に帰れないし、クズとして人生終われない。あのときは本当に狂ったように、見苦しい人間だったと思う。考えうる失敗はことごとくした。毎日飛び込んでは、失敗。失敗の連続。嘲笑、哀れみの目線には慣れきるまでになった。24時間一切日本語を絶った。日本語の文字すら見ないように、英語しか頭に思い浮かばないように徹底的を通した。両親を含め日本との連絡を一切絶ち、「日本」というものが考えられないような極限生活に追い込んだ。
もちろん勉強は毎日尋常でない量でもある。しかしそれでも外に飛び出す時間が必要だったので、基本的に寝ない。もしくは勉強は休憩時間にやった。(変な話だけど、「勉強」がアメリカ生活中「一番ラクなもの」と位置づけされていた。。。)毎日がGO OUT。24時間連続非現実。ツバがなくなり、酸欠でアタマがくらくらするまで話し続け、少しでも日々プレシッヤーを感じなくなれば新しいトコへ飛び出した。昔母親に「あんたは病的なトコロがある」と言われたことがあったが、この性格はアメリカに来てフルに活きた。自分を極限まで振ったため、不可能だった目標に一気に近づいた。
「非現実」を365日、24時間毎日続けると、驚くべきことについには「非現実」が「現実」になるのだ。つくづく思ったのだが、ここまでやらないと人間の可能性は広がらない。「無理」だったことが「可能」にはならない。新たな自分に変わるには、「極限への挑戦」が必ず必要らしい。ひとと同じことダラダラやってたり、さわやかに楽しく毎日送っていたのでは、何ひとつ人生起き得ないらしい。
しかし逆に言えば、ヤレばどんな不可能だと思う奇跡でさえかなう、と確信した。もっと見たことのない自分にだって、どんな事だって手に入れられる。人間には自分でも想像つかないほどの可能性が詰まっているのだと思った。これは今、絶対真実の言葉だと強く感じている。
何にしろ結果、素晴らしいものが手に入ったと、厚かましくも自分なりには思う。とりわけこの2005 Fall Semesterは人生の中で最も充実していたと感じている。
親友であった仲間tom, Fernando, mannyと一緒にアパートに住み、毎週末party やbarに出かけ語らい、そして無限の出会いがあった。Architectureの連中特にmark、 john、bryan、taylorには毎回パーティであって楽しかった。他にもクラスメートだったclintとは異常に仲良くなり、彼のartisticな友達wesley anny adam kyleともかなり話す機会があった。夕食も一緒によく作り、たまり場である彼のアパートでみんなでよく飯を食べた。そしてアメリカ人典型的undergraduate、jimmy, matt, daveともかなりアツかった。特にjimmyは家族ぐるみで親しくなり、家には10回以上遊びに行った。また黒人なのに全くgroupyじゃなくniceなmattにはnew year家族に招かれ泊まりにいった。寮のリーダーだったregginaは本当に優しくて、卒業してからもSyracuseに2回遊びに来て、当時つるんでいた仲間でまた盛り上がった。Alan Arnob!!このグループも本当に楽しい!!
そして大事だったのが、教会の人間とも仲良くなれたことだ。Jonathanには本当にお世話になった。尊敬できる親友だ。天才的に頭がよく、医学生。それなのにきさくで、非常に話があった。彼のmomには取り分け気に入られて、彼の大家族には毎回休みには招かれ、彼らの思いやりある人間性から家族の大切さを本当に教わった。他にも教会では、Andrew, Vjとインド人の二人とは本当に仲良くなり、家が近くなのもあってしょっちゅう語らった。SteveとTuya夫妻(まだ20台だけど)にもお世話になり、同じlinguistic のNevienも非常に仲良かった!そうした教会の連中と行った夏のキャンプは忘れられない思い出だ。
アメリカ人に限らず言えば、kinghongとandrewという香港から来た二人組みにはアメリカに来たその時から同じ寮に住み、また上海からきた男前pan alexともアツかった。彼らとは特に日々アメリカの文化への挑戦を語った。またkinghongは日本に遊びに来た。台湾人communityともかなり仲良くなり、一昨年の冬は一緒にfloridaにも行った。またアジア人なのに英語を母国語とする、そんな世界中を駆け回る留学生ともかなり親しくなった。Asian Studentなるクラブもあったが、残念ながらこの2005はアメリカ文化に忙しく、顔を出せなかった。そして自分の学部からたくさんの留学生ahamet, tonjya, cindy, ting, mikeなど数々の友達が出来た。そしてひとりひとりが思い出深い。ここまでくると本当に全員書ききれない。僕は一年と半年、結局毎日休まずしゃべり続け、ひととの出会いに魅了された。そりゃそうだ、ひとたび外に出れば、世界中の人間との出会いがあるからだ。まさに非現実、しかし最大に興奮と感動の日々だった。
それでもまだ「終わり」などない。もっともっとアメリカには吸収できることはある。今の自分は正直、理想の60%程度を体現したに過ぎないと思う。まだまだ時間と挑戦の日々がほしい。


アメリカ人に限って話そう。アメリカは人種がメチャクチャに多すぎており、whiteであろうとyellow であろうとblackであろうと、基本的にはみんなそこまで肌の色に敏感に反応しない。ともかくソイツが面白いかどうかにこだわってる。そして「面白いヤツ」と分かったとき、徹底的に話す。彼らはpartyをよくやる。アパート使って、友達の友達などともかくガンガン人を呼び、酒を用意。そしてともかくひたすらしゃべる。しゃべり続ける。彼らは新しい出会い、そしてたくさん話すことを何より大切にしており、それをどんな事よりも楽しんでるように見えた。
これは絶対に日本ではあてはまらない。日本人が同じpartyを日本でやっても、必ず盛り上がらない自信がある。日本人には、そしてAsia人全体に「話しまくる」という文化はない。日本人が大好きな言葉に「関係がビミョー」「気まずい」など、他人と話すことを自虐的にからかう言葉が多くあるが、アメリカにはない。英語にはない。もちろん個々の差はあれ、アメリカ人は誰もが気軽に声を掛け合い、よく話す。(思うがwhats up?, how are you?, how have u been?など、彼らが必ず言い合う挨拶からしてもう会話のスタートを必須としている)。
この様に、アメリカは日本文化とはまるで違う。日本文化は徹底的なhomogeneityに裏打ちされた、つまり誰もが100%日本人、backgroundも言語も感性も何もかも同じ、以心伝心、言わなくても話さなくても分かり合える文化。アメリカ文化が「direct」そして「independent」に対して、日本は「indirect」 そして「dependent」。
これは言語にしてもそうだ。「日本語」は主語を省略し、そしてword orderも曖昧なのに比べ(これは聞き手の理解度に異常に依存した言語だと思う)、細かい敬語など人間関係についてうるさい。これが「日本語」。
対照的に「英語」は主語を明確にし、そして人間関係について特に言及しない誰にでも使いやすい一方、日本語のように敬称敬語などではなく、無限の同意語、また日常会話には欠かせないswearingなど、言葉を発し続ける中で、異なったレベルの人間関係を築き上げる。これが「英語」。
アメリカというもうひとつの文化を自分のものにする。これは僕の留学中の目標となり、1年と半というかなり短い間では達成不可能かと思われたが、毎日気違い的なスピードで走り続けた結果、自分でも言うのもなんだが、かなり近づけたと思う。また世界中がmixされたアメリカの文化を知ることは、つまり世界を知ることへの第一歩ともなる。これからの人生をかけて、僕はこの文化的explorationを一生続けていきたいと今は情熱に燃えている。世界中の友達を作り、そして毎日、どの瞬間でもドキドキという興奮に満ちた生活を送りたい、というのが今の目標だ。
人生全てをかけたこの留学。しかし昔巻き込まれたバイク事故の保険金、また大学時代に貯めた貯金を使い果たし、現在学費払えずほぼ日本へ強制送還を迫らている。実際は去年大学の日本語教師の内定をもらい、学費タダそして給料付きだったのに、アメリカ特有の突然のキャンセル。それでも何物にも代えがたい体験のためにと親に100万借金と援助までしてもらったが、それもこのセメスターで終わり。
必死になって道を模索していた冬休み、親友のJimmyの家に訪れたときのこと。彼のお父さんが「私達の家族にならないか、タダで住まわせてあげるし、仕事も見つけてあげる。だからアメリカに残ったらどうか?」と言ってくれた。僕の情熱を理解してかけてくれた、最高の思いやりの言葉だった。あれだけ遠かったアメリカが、今は故郷のように感じられる。「ここに残りたい」って、心から思った。
逆説的だが、そのとき僕は「帰ろう」と決心した。日本に少しだけ帰ろうと決めたのだ。究極的なアメリカの心に触れたとき、逆に早く日本でやり残した事を片付けて、日本自体にもう全く心残すことをなくしたい。そして今度こそこの地アメリカに永久的に残ろう。そういう風に感じたのだ。
今年の目標は2006年夏、もう一度Syracuse Universityの日本語教師職に挑戦する。そして今度こそ勝ち取り、生産的に持続的に勉強を続ける。そして自分の可能性を極限まで広げ、見たことのない世界を見続ける。今まで当然過ぎて言及してないが、学問においても無限にやるべきことはもちろん山ほど残っており、今は図々しすぎて言えないが「学者」としての夢も追求したい。Linguisticは無限なのだ。
今は全てを将来にかけて、まずは日本に帰り、日本でやり残したこと(仕事、勉強)を全部片付けるんだ。それではアメリカ、NY Syracuse、しばらくの間さようなら。ありがとう、Awesome Friends!! これからも必ずkeep in touch そして You gotta come to Japan and see me!!!! 必ずすぐに戻るから、みんな待っててくださいな。それではまた、半年後!! You Take care、BYE!!


p.s.
ちなみに、在学中唯一の話の出来るひとりの日本人にもお世話になりました。Thanx!! まだまだオレはやってみせるので、終わりじゃないので、も少し見ていて下さい。。。(2006.02.10)
斉藤君の受験期間は完全に終わった.(2006.06.10)
6/3/2006
英語資格試験結果
現時点
英検1級
TOEIC 965点
TOEFL 297点(300点満点換算)
資格試験を再び受けてみた。はっきりいって、もうどうでもイイといった感じだ。試験で英語力を測られるそんな時代は終わった気が痛感している。現在の職業上、受験せざる得なかったが、この状況をもう誰も何とも言わない、当然として受け止められるという事態。そして何より自分自身が全く興奮しない。「だからどうした?」と。
何やっても、もう全て想定内なのだろう。
現在東京都内の某学校で史上最年少でTOEIC講師に幸運にもなれた。しかし、ここが居場所ではないらしい。上司の方々には暖かく見守ってもらい、また身分不相応なチャンスまで頂いているそんな状況だ。しかし自分自身の力が未だ中途半端な気がする。それは英語力とかではなく、自分自身の目標がまず達成できていない、そんな状況だからなのかもしれない。
これでは、日本ではもう何もない。どこまでやっても、もう何も得られないだろう。得られても少なすぎる。外野はもう僕が話すことを理解できないし、まず関係ない。世界が完全に違う。最悪、饒舌に批判するものほど何もやってない。もう僕の体が、こんな場所にいてもギシギシ言わない。
あの地に帰ることが、今僕を一番興奮、そしてジンジンと緊張感、もしくは恐怖に近い感情がわきあがっている。
贈る言葉: さらなる高みへ.よく生きたと思えるさらなる高みへ!



◆◆◆ 掲示板 も復活しました.参考になる書き込みや斉藤君のスレ・レスなどをいくつか残しておきます.(2006.10.03)
(無題) 投稿者:アメリカ在住 投稿日: 9月22日(金)07時52分4秒
すいません。下記のコメントを書いてから、新サイトを見たら、サイトーさんはアメリカに渡っていたのですね。やっぱり。応援してます。がんばってくださいね。
(無題) 投稿者:アメリカ在住 投稿日: 9月22日(金)07時36分29秒
サイトーさんくらいに英語の読み書きができるんだったら、国外出ればいいのにもったいない、と思っちゃいます。アメリカにいると東大なら”トーキョーなら知ってる!”(←大学が有名かどうかなんて知らない)京都大”どこそれ?”って感じなので、受験勉強に意味はあるのか。。。って考えてました。アメリカはもっと学歴社会です。学歴+資産。こちらは努力する人をたたいたりしないので、のびのびと好きな学問を勉強できそう。良くも悪くも日本のように他人のやることにあーだこーだ言って比較したりっていうのは少なそう(日本はどんぐりの背比べのようだが、こちらは比較しようにもバックグラウンドが違いすぎて比較しにくい。)このサイトはとても為になりました。欧米では自分の意見を言わないと存在しないのと同じと思われるし、日本は自分の意見を言い過ぎるとたたかれる社会なんで根本から違うし。日本で能力のある人がどんどんアメリカに流出するのがわかる気がします。でも地位や名誉を追い求めるとキリがないし、上には上がいるのでどのレベルに行っても優越感は味わえないですよね。頭がいい=シアワセ、でもないし(というか、ある程度バカの方が幸せなんじゃないか、と思う今日この頃)ただ、どんなことでも極めている(極めようと努力している)人の話っておもしろいですね。山を登った人にしか見えない景色ってありますよね。登った人にしかわからないから、なぁなぁの人にいくら話してもわからない景色が。社会人の私は東大卒を自慢する使えない人間よりは、おいしい料理が作れる高卒のコックさん、の方を尊敬しちゃいます


人の価値? 投稿者:凡人 投稿日:10月 1日(日)06時53分59秒
受験は勤勉なものと怠け者を篩に掛けるという側面があることも重要です。学歴=IQとかいう考えは、怠け者の言い訳のようにも聞こえる。そりゃあそれぞれポテンシャルの差はあるけど、将来自分を社会に役立たせる方向性を自分の能力の範囲内で懸命に考え、それに向かって精一杯の努力をした人は、一流大学でなくてもさほどコンプレックスを抱かないでしょう。東大の失敗例をことさら大げさに取り上げて東大なんか行かないほうが幸せになるんだと言わんばかりの極論を唱える人がいるが、確率的には大勢が羨む人生を送れる(それが本当に幸せかは別として)可能性のほうがずっと高いと思う。学歴社会ってのは歴史的に続いている現実なんです。その歴史から目を背けるか否かは勝手ですがね。よりよい大学の出身者が政治・経済を牽引してきた事実があり、また、その一流大学もそのような目的で運営されているということ。そうでない大学は国家レベルの牽引者を作り出す意図も風土もないし、そんな必要もない。それはそれでまた地域レベルの社会を牽引することや、卒業生が大人として自分で生計を立てることを目標に運営されている。でも、それぞれが、それぞれに見合った領域で責任と充実感を達成する、それでいいじゃないか。「学歴=人の価値」でないのと同様に「社会的地位=人の価値」でもないでしょう。 人の価値なんて自分と家族と友人の評価でほとんどが決まるもの。そこに安心感があれば、自分とは関わりの少ない世界の人が言う「人の価値」への判断基準などどうでもよくなるさ。

高学歴に否定的な人へ 投稿者:凡人 投稿日:10月 1日(日)20時41分6秒
学歴社会って言ったって、それは全体としての傾向であって、そうでない社会もたくさん存在する。 学歴を是としない人はそういう社会で生きていけばいい。技術的な仕事とか、純粋なセールスとか、芸術的な仕事とかいくらでもある。ただ実力主義だから仕事できない間の待遇はそれなりだけどね。 学歴社会に否定的な人は学歴を必要とされる社会にしか目を向けてないんじゃないか?なぜ自分が求めてもいない物を要求される世界で生きようとする? そんなのは非効率極まりない。一流企業の入社当初からの高待遇なんてのは、その企業を生涯の住処とさせることで家族の一員に仕立て上げ、社内の信頼と互助の輪を強固にするための餌みたいなもんだ。そういう企業は職場のチームワーク(揺ぎ無い上下関係)だとか政治や行政や取引先との人脈だとか、企業内秘密の堅持だとか「守り」や「根回し」を重要視されるフィールドにいるということだ。 人間は未知の人間と付き合うときに共通点にすがる。同じ大学の出身者には親近感を感じるし、大学や高校の先輩はやはり裏切ったり逆らったりすることが難しい。一流企業はそこを利用して組織を強固足らしめ、政や官や取引先への家族化をも推し進めている。そこでは出る杭はいらないのだ。あくまでチームとしての強さを大事にする人材を必要としている。一流大学内でも体育会系が特に就職に強いのはそういった側面による。逆に「出る杭」になりたい一流大生は別の住処を探す。ベンチャー企業を立ち上げたり、一人の戦士として資格や技術という武器を身にまとったりする。 彼らの中でも学歴を直接的に利用できる世界で生きる者とそうでない者とに分かれるのだ。だからいっそう学歴を是としない者は、学歴を求められるフィールドを気に掛ける必要はないのだ。そこは視界から外されるべきものだ。出る杭が求められ、個人のカリスマが歓迎される、そんな場所こそが君の住処なのだ。 そういう場所は入社当初の待遇が悪いと感じられるが当然だ。実力社会だからね。でも保険の外交員や自動車のセールス、建築現場の特殊技術者、人気シェフ、各分野の人気指導者・講師など、一流大卒の管理職より高い給料もらってる人はたくさんいる。 いわば、個人が企業内企業として、会社から財やサービスを仕入れ、販売し、販売額に見合った利益を受け取るという形式だ。まさに、リアルな経済社会の現場で戦うプロと呼ぶべき存在だ。 一流企業が高学歴を重視しているのに過剰反応する人は、ただ楽して高待遇を得たいだけじゃないかと思われても仕方がない。一人の戦士として、プロとしてゼロから戦う気がない印象を受けるだけでなく「たかり」の印象さえ受けかねない。高学歴の彼らは努力して信用を獲得したのだ。そして、その信用に縛られ続け、その責任を果たす覚悟を表明した者たちなのだ。 繰り返すが、学歴と「仕事のできるできない」は違うのだとかいう不毛な議論を展開する人は、仲良しこよしのチームビジネスには興味ないだろう。 「『仕事ができる』の定義」がそもそも棲む世界によって異なるのだ。 それでも一流企業に入りたいなら方法はある。資格や特許などの学歴を超える武器を用意して、カンフル剤を必要としている企業の門を叩くのだ。その努力さえ嫌だとか言うなら単なるだだっ子だ。 さて、青臭い理想論を盾に他人や社会の批判ばっかりしてないで、学歴社会が現実にどう機能しているのかを創造するといい。 知れば、それはそれで十分納得のいくものだ。ただそこに参加するか否かは自由なんだ。学生の諸君には想像もつかない(いくらバイトしようが判らない)ほどの非学歴社会が様々な形で存在している。むしろそれには中卒などの学歴としては底辺の人たちの方が、惰性で三流大に行った人達よりもずっと敏感かもしれない。 世間の風評より、自分に合ったフィールドを見つけてそこで輝こう。君が住みたい社会でなく、君を必要としてくれる社会こそがそれだと思うな。(超長文申し訳ない)

凡人さんへ 投稿者:サイトー(旧管理人) 投稿日:10月 2日(月)04時15分19秒 凡人さんの意見は久しぶりに私の胸に来る意見のなどで、書き込ませていただきます。

学歴社会など、受験など、今考えてみれば単なるきっかけに過ぎないと今は強く思います。
自分がどこまで夢を見れるかはあくまで自分の可能性をどこまで広げられるか次第。なるべく自分を試せばこそ、それだけ夢は大きく変わっていくと私は思います。 例えば甲子園で優勝した投手が、そこまでの努力に従ってプロ野球、大リーグへと夢を馳せるのは当然だと思うのです。彼らが野球をがむしゃらに練習している最中は考えもしなかったことでも。いつのまにか結果が出て、そしてその結果に応じて、今まで開いた自分の可能性に応じて、さらに(引用者注)大きな夢をみていく。これが究極的には一般的な人生にでもあてはまるのではないせしょうか。

18、19の若者が、まずは自分自身を徹底的に試してみる。そして自分とは何かを、一体何のために生きているのかを確認する。それが悪いことだとは思えないですし、それを試すのに受験は、今思えば最適だと思うのです。
アメリカ在住さんのように、ここアメリカでは日本の受験ほどある意味甘くありません。例えば試験だけではハーバードなどの超一流校へはいけません。SATなど簡単すぎて満点があたりまえで、それだけでは差はつきにくく、高校時代どんな偉業を成し遂げたか(全米弁論コンクール入賞経歴など当たり前)なんと家の経歴まで考慮されます(というのも高学歴大学ほど学費が異常に高い、ハーバードは一年だけで一千万ほどかかる)
これは日本のように一年発起して頑張れる日本の受験システムとは全然違います。例えば恥ずかしながらこの6年も前の私の経験でいえば、一年そこそこちょっと勉強しただけで少しは差がつくくらい自信が持てた訳です。しかしアメリカではもう18、19では遅すぎるのです。それではあまりに絶望的ではないでしょうか?
日本の学歴システムはただ、若者を自己考察にするのに格好の機会ではないか、と。努力すれば少しは何か見えるようになるのではないか。それだけの意味で僕は評価しています。偏差値というゲームの様な指標に、数在る参考書、分かりやすい講義。アメリカ在住さんがおっしゃるようにまるで何かのスポーツ競技のようなお祭りぶり。非常に一般人達にもわかりやすい、そんな人生で一発目の試練にはなると思います。

ずうずうしく私的な意見を述べさせてもらえれば、この「大学受験」で達成したこと(今ではあまりに昔のことで、そう呼べるかどうかも分かりませんが(失笑))は、今ではもはや何の自分を形作るidentityの一つになっていません。大学入学後でもなく、今強く思うのは、アメリカに渡ってからがピークだったと思います。大学時代はトイックなどに苦戦して、900だ何だ、英検だ何だで大騒ぎでしたが、今ではそれさえも何も感じないくらいの領域です。(アメリカでの言語学はかなりハードです、かなり授業が濃く、ちょっと風邪でもひいて授業を一回でも休んだらもう終了です)

話を大学入学後に戻せば、入学後、どんなに受験を頑張っても、「受験」など試練だとも思わず入ってきた、つまりそれくらいの努力何とも思わない、そのような既に同じ年でもずっと人生をひた走ってきた人たちがいます。事実、大学入学後彼らにとって本当の努力をして、大きく飛躍していく彼らを見ては、改めて「受験」というものの小ささを知りますし、何より彼らの生き方に刺激を受けます。
それなのに、悲しい事にこの掲示板では、たかだか「受験」をとらえて大騒ぎし、東大だ、偏差値だ、そんなの意味がない、すごくない、だのの議論は私には無意味にしかみえません。

受験は単なる第一段段階目のステップです。もしくは最も分かりやすく、簡単な第一段階目だと思います。そんな分かりやすい受験を通らないならば、凡人さん、鮫肌さんがおっしゃるように、分かりにくく、ゴールも見えにくい、そして限りなく厳しい(自分が選んだ)道(職人の道)が待っています。

逆にこれらを全部否定して、つまり人生の「努力」を否定して人生そのものを語っても、私には不毛すぎると思います。最悪それを否定して、全く違う方向から人生を語ったとしても、頑張る人たちを中傷し、そして罵声を浴びせる。例えばこのウェブサイトでは、いつも「殴りたい」だの、「殺す」だの、大騒ぎです。そういう脅迫まがいの自分たちはさておいて、このウェブの批判を繰り返す。このようなパブリックな掲示板を運営していると、かなり多くの連中がそれにあたります。相変わらず世の中はいろいろな動きを見せていますが、努力する事の大切さ、そして人生は階段であるということを、改めて痛感する毎日です。

斉藤君,NY再留学後の報告(2007.03.24)
3/24/2007

my first conference アメリカに来て、ほぼ2年目。つまり自分の夢をたくしている「言語学」を学んで2年目。人生で初めて学会に出られる事になった。音声学でやっている研究をパワポにして、NYからカナダのトロントに行ってきました!

春休みだというのに、何回も教授に見てもらって、それでもさすがに本番は緊張したけど、最高のフィードバックをもらって一応成功だと思います。やっぱ人前に出て話すと、最終的に気持ちイイね(笑い)

ランチタイムや、休憩時間、ともかくたくさんの学生たちと話した。そんな風にたくさんの生徒と話せて、友達になれて、本当にこれもまた最高の一期一会。この異国の地で追いかける、学問の道は本当に本当におもしろい。

今までのプロセス。

最初はともかくアメリカに違和感を感じたけど、英語だけを一年間使ってたら何もかもが英語でも普通になって、そして昨セメスタ、次のステップということで、勉強、そしてアカデミックな交流関係(教授とか)に焦点をしぼって、そしてこのセメスタ。。。。。。。その最終段階としてついに学会に出た。こんな暴挙にでたのは、学部中、ぼくの他にはもう一人、アメリカ人の女の子だけだった。地道だけど、ともかく階段を階段をしつこくしつこく、一歩一歩、のぼってきた。そして夢を追うのこの階段、ふと振り返ったその瞬間。「そろそろ面白くなってきたな」、そう感じた。

夢は果てしなくその先で、まだまだ自分の器の小ささを知るばかり。だけどそれでも、一段一段階段をのぼり、そしてさらに進化してやりたい。

最高のおもしろさ、人生をかけたコント、これを追求したこの旅は、今ガンガン加速している。 絶対に、誰も見た事のない世界をこの目で見てやりたいと思ってやす(笑い)

こういうキチガイ経験を通してまた一つ、最後に残る言葉は。「いろいろ助けてくれて、ありがとう」 for my most prescious entity! 他にも教授に、最後アツいメッセージで送ってくれたルームメイト、全員に「ありがとう」


復活掲示板の投稿(2007.04.02)
what i thiink is.... 投稿者:夢を叶える満足感 投稿日: 4月 2日(月)01時54分40秒

自分が求める夢を努力して勝ち取って、自分の手で人生を変えたんだ!って時に感じる素晴らしさを、この方は受験を通して得たんだろうと思いました。クライマックスは結構感動ですね..。結局これだけ努力出来る人であれば、回り道をしても最後は同じ所に行き着くのだろうとも思いましたが。

中卒でも高卒でも大学でてから勉強した人の中にも、学問や教養、その他の面で素晴らしいものを持ってる人達ももちろん沢山いますよね。コンプレックスが解消されて、色眼鏡がとれて、人と向き合う時に絶対忘れちゃいけないことだと思います。

自分のいる所が偏差値が高かろうが低かろうが、自分のしたいことをプライドを持って頑張ってるってのが一番輝いてます。受験生の人達は、大学に入ったら、しっかりアカデミックな世界に浸って、自分探しの旅をして下さい


斉藤君,Masterを修了してPHD(博士課程)に
順調?に邁進しているようで頼もしい.掲示板も落ち着いてきたようで,前向きな発言が大半になってきた.彼もよく理解しているのだが,生まれてこの方,努力をしたことのない人間が「偏差値70からの大学受験」を正しく評価するのは難しい.今日は知られていない発言を載せておこう.(2007.06.17)
5/4/2007
Graduation Exam 1日目
今日はSyntax.。Syntaxの期末試験とペーパを出してすぐに、Syntxの卒業試験。 制限時間、24時間で持ち帰り試験。
そして何よりSyntax...
まだたった1学期間しか習っていないが、完璧に魅了された。
まさに言語と数学の融合。
クラスメイトでは数学のできないひと、また、論理的思考訓練になれてないひとはとまどっているみたいだ。
何故か言語学の中では自分が一番向いているような気がする。英語を習ったときの感覚、グラマーを組み立てているあの感覚が、Syntaxの問題をひとつひとつ解いていくときに作用する。
言語を数式で論理的に解き明かす、言語学の最もおもしろいところだし、チョムスキーのおっさんが出てきたその場所に、少し触れてまた思うこと。
もっともっと勉強したい、って気持ちだろうか。

さあ、今日は7時間かかったけど、明日はPhonology。。。一番不安な科目です。。。

5/5/2007
Graduation Exam 2日目
今日はPhonology。

せっかくなので、お世話になっているトニー教授のことについて話しましょう。

彼は多分45歳。そしてPhonologyの教授。でも誰がどう考えても教授に見えない。まず自分がゲイであることを前面に出したジョークでクラスは信じがたいほど爆笑の連続。またセクシャルやレイシャルなジョークが大好きで、いつもギリギリのライン。

そういう先生は今まで決まって授業も簡単なはずだが、彼は全然違う。授業は常識を疑うくらい宿題と、驚異的な問題の嵐。

昨年まではドラッグを吸い、かなりワイルドだったらしく、今はこれでもおとなしくなったらしい。

そのくせ週末は教会で小さい子供に日曜学校として教えている。もうめちゃくちゃだろう//

まだまだ。彼のここまでの経歴もまたすごい。昔誰かが若気のいたりで出来た子供らしく、養子としてもらわれ、そのあと17歳でアーミーへ入隊。22歳でアーミーを出て、その後大学へ。そして言語学にとりつかれて、紆余曲折を経て現在にいたると。

言語学だけではなく、様々なことにとりつかれており、とても一つのカテゴリーでははかれないひとだ。 僕ももともと型にあてはまらないほうなので、こういうキチガイ的な人間と完璧に合う。

何よりも大事なのは、ここまで彼なしには、僕の特に言語学の偉業は何一つ語れない、ということ。

学会へのアドバイス、PHDへのアドバイス、PHDへの推薦状、そして夏休みの論文アドバイザー。ともかくお世話になったし、感謝につきない。

勉強だけ出来るギークにはなりたくない。Acdemicに、Socialにはばたきたい。だからこそ、こういう教授は貴重だと思う。

現在言語学部には三人の尊敬する教授がいるのだが、トニーはそのうちの一人。

アメリカで勉強するのは、こういう面白い人間との出会いが一番だとも思う。

もちろん、かなり授業のレベルも高い。でもアメリカにいる、この最大の目的は、誰にも出来ない経験をするということ。だからなるべくたくさんの面白い人間との出会いだとおもう。

アメリカでいきていくことに重力は感じなくなりつつある。何百の人たちとの出会いは十分楽しんだ。

次はこの世界が見える舞台で、本当にスゴい人に出会いたい。アメリカで、何かを極めたひとともっと話したい。

「君、日本の価値観に戻れるの?? 」

ここまでラリってくると、誰かに聞かれそうな質問。

だけど、この即答で。 「今はまだ、もどるには早すぎます」、 が答えです。

20代、思いっきり何も考えずにやってみる、そんな道をもう選びました。どこまでもどこまでも、どうせもう普通にもどれないんだったらとことんいこうかなって。

明日は僕が尊敬するもう一人の教授について書きます。


5/12/2007
Graduation Exam 3日目
今日はSocio linguistcs。
言語のメカニズムを極めた上で、それを現実社会にあてはめてみることがSocio linguistcsた。
だからこそ一番一般人にも興味がわく範囲だと思う。ちなみに今日のGraduation Examの問題は、「男女のSpeech Styleについて」と「世界中の様々な英語」と「Speech Actについて」などなど。とてもCatchyな話題が満載だ。

シラキュース大学でのLinguisticsで実は一番有名なのはSocio のBhatia教授だ。 彼は僕が心から尊敬し、そして初めて生き方に惚れたひとです。

ともかく人柄が温厚で、僕がまだ英語もやばく、そしてLinguisticsとしても全然魅力ゼロの時から何故かかわいがってくれて、その理由は「アメリカに溶け込もうとしている姿勢がおもしろい」と、とても教授とは思えない発言。
しかし同時に彼の人生を語ってもらったあのとき。僕は多分将来いつまでも忘れない。

20歳の時、極貧のIndiaで、アメリカから来た教授に2000人の中からスカウトされアメリカへ。
PHDにいきなり無謀にたたきこまれ、Linguisticsの生活がスタート。英語と文化に格闘しながらも、劇的なスピードですすむPHD生活。毎年Scholarshipがふるいにかけられ、Gambleだったらしい。
なんと最初の関心はPhonologistとしてで、しっかりPublicationもたくさん出して、シラキュースの教授へ。

それから紆余曲折を経て、正反対のSocio linguisticsに没頭し、ここから彼の名前は驚異的に有名になる。
数々の賞に、Publication。特にLinguisticsをAdvertisementのFieldに持ち込んだのは、彼が初めてで、ここでの彼の実績は本当に素晴らしい。

昨年の冬休み。インドに研究で出発される前に、何人かの生徒を呼んでランチ会をしてくださった。
奥さんはなんとEngineeringの学部長で、夫婦そろって教授なのだ。そして何よりすばらしかったのが、Bhatia先生の家族に対する接しかた。あの普段見せてくれる温厚な人柄そのもので、家族のなかでもみんなに愛され、そして愛している。

このアメリカという地で、学問でも劇的に成功し、そして家族というしあわせまで完璧に体現しているひと。
これは僕の人生をかけた目標であり、「尊敬」に値する。

まだまだ、自分はここからだ。
HPへ