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□ 参考書籍と著者のコメント・後書き

 『高校数学+α :基礎と論理の物語』を書き上げて一通り校正をしますと,関係がありそうな書物を調べたくなります.まだその途中ですが,紹介しましょう.

 先ずは昔読んだことのある本です.1992年,志賀浩二という大学教授が 『数学が生まれる物語』(全6冊,岩波書店)という本を書きました. これは,知識は0だが理解力は抜群という生徒(学年不詳)に授業をするという形で書かれていました.私は題名に惹かれて読みましたが,自然数の和や積の導入に始まり,引き算もできるように0や負の整数を導入していくという生成的(または構成的)に数学を展開していくものでした.レベルの高いペアノの公理系まで平易な言い回しで教えており,偉い先生がいるものだと感心したものでした.
 実はその本のことはすっかり忘れていましたが,書き上げた後になってから もう一度読み直してみると,『高校数学+α・・・物語』の「物語」や, 語りかけるような書き方など影響を受けたことは確かです.
 また,志賀先生は中高一貫教育に情熱を傾けられていることを知りました.志賀先生の著作を調べてみると,高校生・一般向けに書かれた大学内容の教育書『数学が育っていく物語』(全6冊,岩波書店),『高校生に贈る数学』(全3冊,共著,岩波書店)などがあります.また,中高一貫教育の教科書とその副読本『中高一貫数学コース』(全10冊,岩波書店) は『数学が生まれる物語』のレベルの高い部分を取り除いて教科書風に書き直したように思われます.

 志賀先生が「負×負=正」をどのように扱っているか見てみますと,『数学が生まれる物語』では3通りの“考え方”を示しています.そのうちの1つは『高校数学+α・・・』の証明と同じなのですが,証明を強調しない書き方になっています.先生は形式的な証明を避け,その姿勢は『数学が生まれる物語』全体を通じて一貫しています.“見れば分かる”方法を貫こうとする執念のようなものを感じました.
 『中高一貫数学コース』では,交換・結合・分配の3法則を前面に出して,「負×負=正」についてただ1つの“考え方”を示しています.

 高校数学の教科書を受験を意識せずに教養書として書くとどうなるでしょうか.松坂 和夫 著『数学読本』(全6冊,岩波書店) がそれです.オーソドックスな癖のない書き方が好評のようです.最後の6冊目は大学内容です.

 大学入試に合格した人が,大学の講義を受ける前に高校までの数学を復習するための本として,『新入生のための 数学序説』(高崎金久 著,実教出版) が評判がよいようです.大学では集合・写像・論理が数学の出発点として重要ですが,『高校数学+α・・・』ではそれらに関して取り上げていない重要事項が載っています.

 表題からは想像できない内容のために,最近まで見過ごしていた本もあります.吉田 武 著 の2冊です.『オイラーの贈り物−−人類の至宝 e=-1を学ぶ−−』(海鳴社,1993年) は題名にある式を理解することを目標に,基礎的な数学全般の学習が出来るように工夫した,新しい形式の入門書です.(1)他書を参照しなくてよいように,自己完結している,(2)数学の各分野にこだわらず,全体を統一的に扱う,(3)定義を重視する,(4)数値計算を積極的に取り入れる,(5)式番号を省略する,などの工夫を行い,意欲ある高校生なら十分に読めるように書かれています.(『高校数学+α・・・』でも,(1),(3),(5)の工夫がされていますね.)読んでいると,好奇心がかき立てられ,最期まで読破してしまいます.販売部数は3万部を記録しました.
 この本で,彼は教育の何たるかを理解したものと思われます.7年後の20世紀最後の年に,彼は千ページもある大著『虚数の情緒−−中学生からの全方位独学法−−』(東海大学出版会) を世に問いました.それは当に“もの凄い”教育書でした:(巻頭言) さあ諸君,勉強を始めよう勉強を.数学に限らず,凡(およ)そ勉強なんてものは,何だって辛くて厳しい修行である.然(しか)し,それを乗りこえた時,自分でも驚く程の充実感と,学問そのものへの興味が湧(わ)き起こってくる.昔から,楽して得られるものなんて,詰(つ)まらないものに決まっている.怠けを誘う甘い言葉は,諸君に一人前になって貰いたくない,という嫉妬(しっと)である.思い切り苦労して,一所懸命努力して,素晴らしいものを身につけようではないか.・・・
 教育に携(たずさ)わる者にとって,最も重要な行為は,「人の心に火を点(つ)ける」ことである.一旦,魂に「点火」すれば,後は止めても止まらない.自発的にその面白さの虜(とりこ)となって,途(みち)を極めていくだろう.それでは,どうすれば点火するのか,点火装置は何処に在るのか.それは「驚き」の中に在る.
 「驚き」を教える事は,何人にも出来ない.人が驚ける能力,これこそ天からの贈物である.この意味に於(お)いて,子供は天才である.驚きを失った大人に点火する方法は無い,火種は尽(つ)きているのである.・・・
・・・そこで,著者は,一つの事をじっくりと学んでいると,“知らず識(し)らずの中に”色々な知識が増えたり,それまでは全く興味の湧かなかった分野に親近感を持てたりする様な,科目の枠を超えた著作は無いものか,と考えた.・・・学問を学び,スポーツを愛し,人生を楽しむ為に必要となる様々な事柄を,綺麗(きれい)事で終わらせずに真剣に語り,読者と一緒になって考え,読後には何かしら自分の目標と呼べるものが見つかったり,或いは,「志」と呼ぶに相応(ふさわ)しい熱い感情が全身に漲(みなぎ)ってくる,そんな著作は無いものか.・・・
 本書が,出版界に対する一つの挑戦として,好意的に受け入れられるよう祈っている.・・・(巻頭言終わり) 橋本裕の日記帳(4月22・23日(火・水)も参照)
 あまりの迫力に圧倒されて,私は本文を読む前に彼の事をもっと知りたくなり,後書き(万華鏡の話)の方を先に開いた.・・・本書の企画は,平成九年夏に静岡県教育委員会の要請により,高校生の夏の合宿セミナーの講師を担当した事に始まる.・・・
 今ここに本書を書き終え,構想と執筆に費やした一年,その構成と補足に要した更なる一年,そして何よりも,出版元を求めて彷徨(さまよ)った屈辱と忍耐の一年を思い浮かべ,真に感慨無量である.またこの間,あらゆる交際を絶ち,日毎増していく前からの腹痛,後ろからの腰痛に耐え,最高二十時間,平均でも一日十数時間を,執筆に捧げた“異常な日常”は遂に視力を半減させるに至った.・・・然しそれでも尚,著者は今,穏やかな光の中に居る.・・・若し将来,読者の中から何事かに大飛躍する人が出てきて頂けたら,著者の幸福これに勝るものは無い.(後書終わり)
 信念のある人間が,確信を持って目標に突っ走る時,このような迫力が生まれ,彼はそれをそのまま表現した.およそ数学の書らしくない.実際そうであった.子供が成長して,生き甲斐を持って人生を生き抜くための教育論が本当のテーマで,そのための手段として数学が用いられていると言った方がよい.皆さん,『虚数の情緒』を読んでみましょう.高校生諸君,この迫力を体験しエネルギーとやる気を貰おうではないか.高校の先生方,教育関係者の方々,教育の方法について今一度考えるチャンスを頂きましょう.
 具体的な記述については,全てが納得できるものとはいかず,同意できない部分や論理的に矛盾する事もあるかも知れません.また,数式の扱い方も独特です.でも,彼の情熱・精神を思いやる時,それらは小さい問題となるでしょう.(彼の小さなミス“「(−)×(−)=(+)」は「約束」である”は『高校数学+α・・・』に取っては重大なので訂正させて頂きます.両者で用いられている基本仮定(公理)は同じです.よって,「(−)×(−)=(+)」は証明できる「定理」です.)

 なお,参考までに『高校数学+α・・・』を書く際に私が勉強した数学書をあげておきます.
◎小平邦彦 著 『解析入門 I,II』(岩波講座 基礎数学 解析学,岩波書店)(高校数学で抜けている実数論の厳密な議論を補い,解析学に橋渡しをしてくれます.「デデキントの切断」を知りたい人はこれがベストでしょう.名著だと思います.最近,軽装版 として復刊したようです.)
◎高木貞治 著 『解析概論』(岩波書店)(数学科に進まれた人は必ず読む名著です.)
◎足立恒夫 著 『数−体系と歴史』(朝倉書店)(数学基礎論という数学の基礎の基礎に興味を持たれた学生・先生方に先ずはお薦めです).なお,数学基礎論の詳細は不要という人は広瀬 健 著『数学・基礎の基礎』(校閲・難波完爾,海鳴社)が読みやすいでしょう.『現代数学小辞典』(寺坂英孝 編,講談社,BLUE BACKS ) も隠れた名著と言われていて,お薦めです.



  インターネットでいろいろ検索しているうちに,ノーベル賞を受賞した理論物理 学者の朝永振一郎先生の随筆を見つけました.朝永 振一郎 著『科学者の自由な楽園』(江沢 洋 編,岩波文庫) の中にある「数学がわかるというのはどういうことであるか」です:
 数学がわかるとか、わからないとかいうのはどういうことであろうか。むかし中学生(注:現在の高校生)であった頃のことを思い出してみると、負数を引くのは符号を変えて加えるのだということがどうしてもわからなかった。もっとわからなかったのは負数と負数とをかけると正数になるということであった。ところが、いつのまにかこんなことは気にならなくなって、代数学を無事及第したが、それはわからなかったことがわかったのか、あるいはただ、いろいろやっているうちに、こういう計算のルールに慣れてしまったのにすぎないのか。ずっと成長してから考えれば、数学はいくつかの公理、演算の規則から出発するもので、ようするに内部無矛盾性があればよいわけであるが、中学生にとっても、何とかやっているうちに、負と負を乗じて正というやり方をして万事つじつまが合うということで安心立命したのであろうか。・・・
 朝永先生のような天才でも「負×負=正」で悩まれたのですね.

 私は“負×負=正?”の授業を行ったときから,この問題の持つ本当の意味を高校生に明らかにしたいと思っていました.いろいろ調べてみて,「負×負=正」を“誰もが極自然だと感じる方法”によって納得させることは不可能であり,やはり,証明を用いた“そのように考えるしかないという,力ずくによる方法”によってしか理解できないと考えるようになりました.それは,負数は,やはり,便利だという理由で導入された「お化けの数」だからです.数直線を考えることで負数は一見正数と対等になったかのように見えましたが,その振る舞い(演算)については“お化けの正体”が現れざるを得ないわけです.

 このことを理解してもらうには,理詰めでやるしかありません.論理に訴える方法のみです.数学には究極の論理体系,つまり,公理系があります.それを使えばいいのですが,それは大学の数学科で行う非常に高度な学問です.とても高校で教えられるレベルのものではありません.
 しかしながら,都合がよいことに,数学全体の公理系は多くの公理系から構成され,論理に関する公理系,数の計算に関する公理系,実数の連続性に関する公理系,・・・などと分けて議論することができます.よって,「負×負=正」を証明するにはそれに必要な最低限の公理系を採用すれば済みます.また,公理系の設定は厳密に考えればきりがないのですが,数の計算に関する公理系としては可換環の公理系,雑に言えば,実数を1次元のベクトルと見なして「(1次元)ベクトルの定義に関する公理系」つまり「計算の3法則と0,1の定義」を採用すれば十分です.先ずは高校生が“公理とはこんなものか”ということを感じ取れることが重要と考えた次第です.
 このように考えて,論理を重視して,高校数学の“ピンからキリまで”を考慮に入れた参考書を書く事にしたわけです.「ピン」はもちろん中学校からの宿題事項「負×負=正」です.高校で新たに習う関数・複素数・ベクトル・行列・微積分・確率統計においては,それらの意味が明確になるように,導入部におけるそれらのイメージ作りは入念に行ったつもりです.公式や定理の導出は,論理を重視して行われる為に,通常の導出方法と違うところが多々あります.それらは論理的な能力をつけるのに必須であって,君たちに応用力をもたらします.
 「キリ=“+α”」については私は明確な問題意識があります.1つは高校数学ではちゃんと証明しないで使っている公式や定理にきちんと証明を付けることです.漠然とした疑問を持ちながら真面目に勉強している人に役立つでしょう.また,高校の先生が生徒から質問を受けた時にちゃんとした解答を与えるのにも役立つでしょう.もう1つは大学の講義との関連です.大学では学問としての数学を教え,内容はより抽象的になります.論理の訓練が出来ていない学生は全くついて行くことが出来ません.しばしば入試に出題される大学内容の事柄を“+α”として盛り込んでおけば,高校生は大学の数学が想像でき本当の数学に興味を持てるようになると私は確信しています.“数学命人間”とは言わないまでも,理系の大学に進みたいという高校生が増加することを念じて止みません.

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