高校の<授業>v.s.大学の<講義>議論板の過去レス

47<>2004/05/23(Sun) 17:18:53<>tad<><>大学1年生の皆さん.大学の講義はどうよ?<>以前のスレッド「大学1年生に聞く.大学の講義をどう感じたか?」をリネームして改めて議論をお願いすることにしました.

大学1年生の皆さん,Golden Week も終わり,大学生活も落ち着いてきた頃でしょう.大学の講義にも本格的に取り組む頃になったと思います.
高校の<授業>と大学の<講義>を比較しながら,気楽に議論して下さい.<>www.h6.dion.ne.jp/~hsbook_a/<>0<><>0<>$1$BT$MZWHvY6Sf3K1OkFi4plLj/<>222.4.8.234<>1085300333<><> 43<>2004/03/25(Thu) 14:55:21<>tad<><>受験が『点数の経済学』の支配下にある<>あらき先生の日記で,「受験生はなぜ偏差値にこだわるか」が経済の問題として捕らえられ, “「受験が『点数の経済学』の支配下にある」とまとめたくなる”と議論されている.“点数の多寡が「貧富」に対応する何を決定するかというと 「(出身大学名で決まる)身分」 である”と強烈である.----参考まで.


ついでに.----受験生用のコメントもありました:
有能な子に東大・京大(と、ひとくくりにすると響きがとぉぉぉってもスノッブでス・テ・キ?)に進学することを勧める動機がただひとつだけあるとすれば、 互いに切磋琢磨する有能な相手に恵まれる確率が、 国内では相対的に高いことが挙げられる。 (所詮、程度の差の問題でしかないのだが…。 もちろん東大・京大だと例外的な超秀才みたいなものが時々いて、 そいつを見てるだけでも面白いってことが無いわけではない。) 「自分を鍛える」という動機付け無しで東大・京大に行ってどうするよ?


自分用メモ:「ミドルマン」---世間が必要としているのは主に「ものしりはかせ」であるが、 大学が主に生産しているのは「(蛸壺式)専門家」である。<><>30<><>36<>$1$tj$Pdfk2//l9u/rD8EHBwTHw0<>211.4.74.27<>1080194121<><> 42<>2004/03/22(Mon) 18:15:36<>tad<><>Re[1]: 受験生はなぜ偏差値にこだわるか---一応のまとめ<>「受験生はなぜ偏差値にこだわるか」の一応のまとめをしておきます.

偏差値=総合的な視点からの大学の人気度の指標=学力・合否判定のシンボル的存在

←目的意識をしっかりと持っている受験生も、学習到達度よりは、他人との優劣関係が最も重要な指標となる.
←目的意識の定まっていない受験生は志望に関してかなり流動的.

←受験生が身近なライバルとの相対評価に目が行く.

偏差値=山の高さ←より高い山に登った方が、より達成感がある。

という感じでしょうか.
「実社会の生きた情報が十分に入らず、18や20の年齢で卒後の進路を現実的に考えられる人は少ない」という現状を考えれば,この問題の解は得られるようです.

「実社会の生きた情報」を教育現場にどんどん流すことが大事ですね.→進路の選択.
<><>15<><>36<>$1$s4$Ev7.Yabb35zaBdt7G6wmD/<>211.4.74.27<>1079946936<><> 41<>2004/03/21(Sun) 23:10:27<>chief<><>Re[2]: 受験生はなぜ偏差値にこだわるか<>tadさん、おひさしぶりです。

ここの所オフラインが猛烈に忙しくて、なかなか参加することが出来なくて申し訳ありません。
先ほど一通り、拝見させていただきましたが、本スレッドにつきましては私から特に付け加えることはありません。

次のスレッド「現在の検定教科書の批判」につきましては、日ごろ考えていることがありますので何とか時間を作って愚見を書き込みしたいと思います。
あと、ゲストブック[No.88]で紹介されている Leonhart 君にもぜひ参加してもらいたいものです。
いかがでしょうか?>Leonhart 君<>www003.upp.so-net.ne.jp/chief<>30<><>36<>$1$st$PbFO//ey5Bdqcx73Wyr1X1<>218.41.211.214<>1079878227<><> 40<>2004/03/20(Sat) 00:10:55<>tad<><>Re[1]: 受験生はなぜ偏差値にこだわるか<>偏差値について議論して頂いておりますが,じじ様,腰痛もち様から貴重な分析をして頂きました.お二方は偏差値70からの大学受験!? ぼく,偏差値大好き掲示板からいらっしゃいました.

そこで紹介したいレス記事を見つけました:

感動よ再び 投稿者:ラッコ  投稿日: 3月16日(火)16時25分0秒

 私も大学受験はストレートでいかず、志望校にいくために一年仮面浪人生活を送った経験があります。ここに掲載されている文章をよんで、当時のことが懐かしく思い出されました。たしかに学歴なんて関係ない、要は本人の能力だと、最近メディアで言われるようになってきています。そして、この指摘は真実であるとおもいます。しかしそこには、学歴はあって当たり前、それにプラスアルファーでその人に何が出来るかという暗黙の前提があるように感じます。まだまだ日本は学歴社会、アメリカ社会にしてみても所謂大企業の幹部はみなMBAをもっていたりと、実は日本よりも厳格な学歴社会です。名前だけの一流大学卒は確かに通用しない時代になった。これは私も会社員時代に痛感しました。しかし、何か一つのことに一生懸命に打ち込んだ経験というのは、それだけで貴いものなのでないかと私はおもいます。
 それを踏まえた上で、大事なのはレッテルではなくて中身なのではないかと私は思います。有名大学に大企業、ブランドで身を固めるのも一つの生き方です。そして、それは世間的に見れば、それなりに評価された生き方でもある。しかし、人生それだけでもないのでないかというのが、最近の私の感想です。ブランドも大事だけれど、自分が本当にやりたいことは、そこにあるのか。世間的な評価と自分の適性がマッチすれば、これほど幸せなことはないですが、世間的な評価だけを優先させる生き方といどうかと私は思います。もっとも、これは私の個人的な経験からもきているので偉そうなことは言えません。
 いずれにせよ、大学四年間は社会に出るためのモラトリアムです。大学へ入学した事が終点なのではなくて、そこは出発点でしかありません。サイトウさんが、大学四年間のあいだに色々な経験をつんで、更なる飛躍をされることを期待します。


chief さん,何か付け加えることがあればお願いします.無ければ,このスレッドをまとめることにして,次のスレッド「現在の検定教科書の批判」に移りたいと存じますが,いかがでしょうか.ゲストブック[No.88]で紹介した Leonhart 君も「教科書がお手本になってないといけないと思うんだけど,「伝わってくるもののない」文章になってるんだよなぁ」と嘆いております.<><>15<><>36<>$1$s/$FqoxlzPFPk6puOKmG5Pix1<>211.4.74.27<>1079709055<><> 39<>2004/03/16(Tue) 17:51:56<>腰痛もち<><>Re[2]: 受験生はなぜ偏差値にこだわるか<> じじさんの分析は実に説得的であるように感じます。結局のところは、大学受験という
狭い世間の枠組みの中でしか大学を評価する術を知らない受験生が、大学それ自体の総合
的な評価よりも、身近なライバルとの相対評価に目が行くのは当然であるように思われま
す。このことは大学の入試問題の形態にもいえるのではないでしょうか。かつて慶応義塾
大学が湘南藤沢キャンパス、所謂SFCを立ち上げたときに、英語の入試問題の表紙に英文
で学長からのメッセージを載せていました。趣旨は、SFCに興味をもってくれてありがと
う。挑戦しがいのある問題を用意したから頑張ってくれ、というような他愛のないもので
したが、SFCの受験生にとってはとても評判になったものです。SFCは、入試の形態をとっ
ても、学部が扱う学問領域にしても当時としては革新的でした。一方で早稲田大学は、
英語をはじめとした科目で旧態依然とした入試形態が続きました。ちょうどその当時か
ら早稲田と慶応に両方合格したら、慶応に行くという風潮が強くなりだしましたが、ここ
には、大学入試問題から志望大学の臭いを感じ取る受験生の姿があったように感じます。
 いささか本線から論点がそれてしまいましたが、受験生にとって偏差値というのは
大学を登山者が登る山と見立てたならば、その山の高さのあらわす指標のようなものだと
思います。登山者に何故山を登るのか?と聞いたならば、いろいろな答えが期待されます
が、一番大きな理由は達成感があるからというのではないでしょうか。つまり、山登り
は一つの力試しである。力試しであれば、より高い山に登った方が、より達成感がある。
大学入試においても登山と同じような上昇志向がはたらくとすれば、山の標高を示す
偏差値には必然的にこだわらざるをえません。私はそこに受験生が偏差値にこだわる理由
があるように思います。実にくだらんりゆうなのですが・・・<><>30<><>36<>$1$rS$g29GjoMyvBP29vGCSSETt0<>202.222.36.3<>1079427116<><> 38<>2004/03/16(Tue) 15:17:09<>tad<><>客観的な分析をありがとうございます.<>早速の書き込みありがとうございます.非常に客観的な分析で,とても参考になるものと存じます.

次の書き込みの方,このレス記事にはつなげないでください.<><>30<><>36<>$1$rL$dKWrXOn9R8UBLUHBvDALC/<>211.4.74.27<>1079417829<><> 37<>2004/03/16(Tue) 09:05:32<>じじ<><>Re[1]: 受験生はなぜ偏差値にこだわるか<>偏差値が高い大学はそれだけ行きたいと思う人が多いということではないでしょうか。大学偏差値というのは、卒後の将来性、学習環境、学科自体の魅力、立地条件、費用、世間の評判、ファッション性、など総合的な視点からの大学の人気度の指標だと思います。社会からの大学の評価や卒後の学閥の力が偏差値と必ずしも一致しないのは、その総合的視点ゆえだと思います。実社会の生きた情報が十分に入らず、18や20の年齢で卒後の進路を現実的に考えられる人は少ないため、過去の受験生や他の受験生の評判を指標としてしまうのは当然ですし、目的意識をしっかりと持っている受験生も、受験が定員制の競争であるからには、学習到達度よりは、他人との優劣関係が最も重要な指標となると考えられます. 偏差値がやたらと注目されるのは、現在用意されている合否の指標として最も有効と考えられているからでしょう。それが実際の受験に際して必ずしも十分な指標として機能していないにも関わらず、です。しかし、それは致し方ないのではと考えます。志望学部・学科内での全国順位を正確に出すことは困難であるし、目的意識の定まっていない受験生は志望に関してかなり流動的で、指標としての有効性が低くなってしまいます。また、選択教科別の全国順位を異なる難易度の実力テスト間で互換性を持たせて評価するには、やはり偏差値が必要となってくるのではないでしょうか。さらに、そこで仮に信頼できる選択教科別の全国順位が算出されたとしても、その数字を解りやすく評価できるのは上位層だけで、中・下位そうはあまりに桁が多くて非常に解りづらいのです。その意味で、偏差値は学力・合否判定のシンボル的存在となったのだと考えられます。
「受験生はなぜ偏差値にこだわるか」の問に対しては、受験が学力と合否をメイン・テーマとする土俵である限り、その判定のシンボルにこだわらざるを得ないということ、また、明確な目的意識を持たない受験生の不安感から、みんなが行きたいと思う大学を指向するため、人気度としての大学偏差値にこだわる、ということに集約されるのではないでしょうか。


<><>15<><>36<>$1$rm$bsg5wdEIetToqhGK5gPEP1<>220.53.40.166<>1079395532<><> 36<>2004/03/14(Sun) 16:32:30<>tad<><>受験生はなぜ偏差値にこだわるか<>議論の本線からちょっと外れるかもしれませんが,偏差値について議論したいと思います.

受験生は“良い大学=高偏差値大学”に合格するために努力を傾けているように思われます.その最も極端な例は 偏差値70からの大学受験!? ぼく,偏差値大好きで,その話がもしホントなら,主人公は“自己の存在理由を賭けてブランド大学に挑戦”しています.そこの掲示板も活発で,種々雑多な感想が寄せられています.

受験生はなぜにそれほど偏差値にこだわるか.単に受験産業に踊らされているのかもしれません(私もかなりの責任を感じています).人の努力の源泉と偏差値の関係は? 等々,偏差値の正体を探りたいと思います.皆様の分析,特に実体験を通じた分析,意見などを期待しております.

※この掲示板は分岐型になっていますので,それに続けたいレスがありましたら,そのレスを開いておいて「上記の記事へ返信 」に書き込んでください.単なる論争など,無意味なものは削除させていただきます.<><>0<><>0<>$1$ro$KCeBx4eNcYIwpVvlNe6hV/<>211.4.74.27<>1079249550<><> <><><><><> 33<>2004/03/11(Thu) 16:52:31<>tad<><>Re[1]: 教科書とリファレンス---一応のまとめ<>あらき先生の最終書き込みがありましたので,中間的な一応のまとめをしてみます.(パソコンの不調で遅れました).

高校で使っている数学参考書:(1)教科書傍用問題集,(2)参考書,(3)受験用問題集,(4)長期休暇・週末課題用問題集(含む 教師が作る「プリント」類)
→基本的には「問題を解く」ということを重視した教材ばかりが使われている.
→今の高等学校で学ぶ数学があまりにも「問題を解く」ことに特化してしまっている.

問題集、参考書の構成では「初めて学ぶ」場合の学習に際して概念を参照する矢野健太郎監修「モノグラフ--24.公式集」(科学新興社)相当の「概念参照の辞書」が足りない.
←売れなければ出版社は作らない
←(ァ)公式の成り立ちを知るよりも、まずは公式が使えるようになるということに価値を置いている受験生が増えた.(イ)生徒の気質が「概念」の解説が詳しくなされている参考書を読まなくなってきている.(ウ)高等学校は「縦割り」の書籍を使って「指導要領」に従う授業の制約から逃れられない.

という感じでしょうか.以下独り言----“高校はとにかく問題を解く練習に明け暮れている”?これでは高校と受験産業の区別はないですね.そんな高校生を入学させる大学が最も責任が重いはずですが.

次のスレッドをお願いします.<><>15<><>22<>$1$r/$8Xu42QtN8I6vT627Tl31q0<>221.119.112.225<>1078991551<><> 32<>2004/03/08(Mon) 19:10:35<>あらきけいすけ<><>Re[6]: 教科書とリファレンス<>あらきです。皆様、ありがとうございます。(どこにレスをくっつけるべきかちょっとムズカシイですね(^^;)

みなさまのコメントが副読本、参考書の利用法のレビューになって、とてもありがたいです。自分が高校生の頃と比べて、大枠のところでそんなに変化がないなぁというのが感想です。いまこのレビューを「咀嚼中」で次にどのように話を振っていこうかと考えています。

ぼくの質問の背景のごく一部を述べますと、大学での工学教育というものが念頭につねにあります。これを実行するには基本的な「てにをは」が出来ていないといけない。この「てにをは」として高校数学ほぼ全分野があると考えています。大学の教育をスタートする時点でこれらは咀嚼され「参照可能な知識」になっていないといけない。しかしながらこれらを全部参照できるような人は国公立の上位校に行きます(^^;

そうでない人は知識を本を頼りに参照しなおさなくてはいけません。そこで「高校までの数学の知識を参照する辞書」が切実に必要だなと思ったしだいです。

[わき道]物理の参考書として「川勝先生の物理講義(だったかな?)」という面白い本があります。数学でこんな構成の本があるとしたらどんなもんだろうと想像するとタノシイです。<>ud037.are.ous.ac.jp/dailylog.htm<>90<><>22<>$1$qB$Ego2b75Kj9NQ9KjK5Mydg.<>150.55.136.37<>1078740635<><> 29<>2004/03/05(Fri) 17:21:45<>chief<><>Re[7]: 教科書とリファレンス<>あらき先生、こんにちは。chiefです。

>問題の解答、解説による概念などの説明の鍵になる部分を教師が握っている。というか、この構成では「教師なし自習」が難しいという気がします。

という件ですが、これについては「高等学校で採用される教材」という視点で考えると、どうしても「教師」という指導者が何がしか解説することが半ば前提になっていると思われますので、そうなるのもやむなし、というところのような気がします。
また、もしかすると今時の生徒の気質が「概念」の解説が詳しくなされている参考書を読まなくなってきている、という側面もあるのかもしれません。
一例として新課程版の参考書の一つである「シグマトライ」(文英堂)の「本書の特色」というところにこのように書いてあります。以下引用します。

>必要にして十分な解説
>各セクションごとのまとめは、「文章を読む」わずらわしさを避けるために必要最小限の重要事項のみ書いてあります。教科書の解説や、場合によっては発展的な内容をコンパクトにまとめてあるので、この内容はしっかりと理解しておきましょう

今時の生徒が文章を読まなくなったのか、つまらないことしか書いていないから読んでもらえないのか、はたまた別の理由があるのか、私には分かりませんが、このように「文章を読む」わずらわしさを避けることが「参考書」の特色になってしまうような状態ですので、何というか、数学力が云々という前に、国語力がどうにもならない状態になっているような気がしないでもありません(苦笑)。

これはあくまでも極端な例ですが、本当は先生の言われる、初めて学ぶ場合の学習に際して概念を参照する「辞書」の役割を果たすべき「参考書」の多くは、このような「詳しい解答付き問題集」になってしまっているのが現状ではないかと思います。

ただ、そういった概念を参照するのに適した「参考書」が現在全くない、というわけでもないと思います。
高等学校でもよく採用されている「チャート式」シリーズ(数研出版)のように類書に比べると導入の解説が丁寧で詳しい、高校数学で必要とされる知識や解法はもれなく網羅されている、索引などの検索機能が充実しているなど、「辞書」的な機能の優れた参考書も存在します。

ただ、先生が矢野健太郎先生監修の「モノグラフ」を「概念参照の辞書」としてあげておられるところからすると、そういった意味での高校生が使える「辞書」は残念ながらほとんどないといわざるを得ないと思います。

まずここで、指導要領の科目構成に沿って作成されている書籍を「縦割り」、「モノグラフ」のように「テーマ別」に高校数学を再編成したものを「横割」と称することとします。

ここで一ついえることがあるとするならば、高等学校では「縦割り」系の書籍を基本的に採用し、「横割」系の書籍は採用しにくいか、したとしても高校3年生の理系クラスぐらいであろう、ということです。

やはり、高等学校は「指導要領」の制約から逃れられませんし(※注)、ご存知のように大学受験が、文系で数学受験するものは「数学1・A」か「数学1・A・2・B」までしか試験範囲としておりません。
よって、理系に進学する生徒なら「横割」系の書籍は非常に意味がありますが、文系の生徒には「受験」という観点から考えると範囲外の知識も当然入ってくるので、「横割」系の書籍は、高校1年の最初から生徒全員には採用しにくいということになると思います。
(私なんかはそんなの気にしないで購入させてしまえばよいと思いますが、この不況ではなかなかそうも行かないかもしれません(^^;)
また、数学3Cまで学ぶ「理系」の生徒というのは今の多くの高等学校では少数派ですから、それも採用には二の足を踏ませる要因になるのではないかと思います。

というわけで、自然と「横割」系の参考書を自学自習用として与えるという手法ではなく、高校1〜2年生の段階では「縦割り」の書籍を使って、指導要領の配列に大体沿って進めていき、3年生の演習の授業で先に述べた「受験用問題集(このタイプはものにもよりますが、横割的な書籍もなくはない)」を使用し、入試問題を生徒に解かせて、ポイントポイントで、教師が、「この問題を解くにはあの知識が必要なんだよ」と振り返らせるという手法に落ち着くというのが現状のような気がします。

>※注・・・学校教育法第21条には、小学校においては、文部科学大臣の検定を経た教科書又は文部科学省が著作の名義を有する教科書を使用しなければならないと定められており、この規定は、中学校、高等学校、中等教育学校等にも準用されています。<>www003.upp.so-net.ne.jp/chief<>75<><>22<>$1$qz$YzsVjAbWQfHyaU7i5wrty.<>61.211.48.247<>1078474905<><> 30<>2004/03/06(Sat) 12:26:31<>baccy<>baccy@mb.infosnow.ne.jp<>旺文社の高校数学公式集<> 確かに、私が知っている範囲でも、公式集と省去れているものといえば、旺文社のものしか知りませんね〜。

 私が高校時代には、進研ゼミをしていたので、そこでは別冊付録として、公式と簡単な例題を扱った問題冊子がありましたが。あれは便利でした。

 ただ、この手のものが最近ではあまり売れなくなってきたのでしょうね。現に、「黒大数」で知られる大学への数学も、新課程版の売れ行きが非常に悪いと聞きます。売れなければ出版社は作らない・・・ということの中で、どんどんこの手のものがなくなってきたのだと思います。公式の成り立ちを知るよりも、まずは公式が使えるようになるということに価値を置いている受験生が増えた・・・ということもそのことの裏返しにあるように思います。<>www.infosnow.ne.jp/~baccy/<>90<><>22<>$1$qN$/azNU/W29vSykMWjoNP1M.<>210.162.96.210<>1078543591<><> 31<>2004/03/08(Mon) 07:55:03<>こなみ<><>Re[7]: 教科書とリファレンス<>こなみ です。こんにちは。

> > これって、科学新興社のものを指しているのでしょうか?
> はい。その通りです。
(途中略)
> 高校の授業では使いませんか?>このページの読者のみなさま

半分くらい、あるいは一通り学習が終わった頃にはあればそれなりに
使えるのかもしれませんが…。それでも教科書自身を参照したほうが
安く済むようにも感じます。もっとも最近の子は、終わった教科書を
すぐに捨ててしまうようなので、この手は段々効かなくなっています
ね(授業の準備に高校時代の教科書も参照している人>自分)。<>www.h2.dion.ne.jp/~ykonami/<>105<><>22<>$1$qh$UgNM5Mbtx5eijJdYVmcp51<>222.1.255.68<>1078700103<><> 28<>2004/03/04(Thu) 16:00:58<>あらきけいすけ<><>Re[6]: 教科書とリファレンス<>> これって、科学新興社のものを指しているのでしょうか?
はい。その通りです。
ボクは大学1年生には参考書として購入させています。

問題集の表紙裏の公式集では「辞書代わり」にはなりませんね。

例えば三角関数の積分なんかの授業(数学III(かつての微分・積分(その前の数学III)))
の時に公式の参照をやらすのに丁度良いような気がします。

高校の授業では使いませんか?>このページの読者のみなさま<>ud037.are.ous.ac.jp/dailylog.htm<>90<><>22<>$1$qQ$2mU/r8IVQyLhIdQ2ioyJ41<>150.55.136.8<>1078383658<><> 27<>2004/03/03(Wed) 12:33:56<>こなみ<><>Re[5]: 教科書とリファレンス(その他)<>> 矢野健太郎の「公式集」しかないなぁ。

これって、科学新興社のものを指しているのでしょうか?

問題集(たとえば数研のもの)などには、見返しに公式が載っていますね。

> 「辞書」のニーズは本当に無いのでしょうか?

旺文社から1冊出ていたように記憶しています。単なる公式集というだけで
なく、簡単な例題つきのものです。<>www.h2.dion.ne.jp/~ykonami/<>75<><>22<>$1$pK$2jl7JCJ7E4FM/FJKwFWBz.<>211.5.59.33<>1078284836<><> 26<>2004/03/03(Wed) 08:09:43<>あらきけいすけ<><>Re[4]: 教科書とリファレンス(その他)<>chiefさま、丁寧な回答ありがとうございます。
自分がかつて高校生だった頃と基本的なアイテム構成は変わっていないようです。

問題の解答、解説による概念などの説明の鍵になる部分を教師が握っている。
というか、この構成では「教師なし自習」が難しいという気がします。

このような問いかけを投げた背景は
福祉システム工学科でリメディアル(いわゆる補習)教育の教材を作成していて
書店の店頭に並ぶような問題集の中からのピックアップする手法をとったのですが、
どうしても自学自習向きの構成にしづらかったのです。

現在の問題集、参考書の構成では「初めて学ぶ」場合の学習に際して
概念を参照する「辞書」相当のものがないなぁ。
ぼくの場合は高校3年のときに使った「大学への数学」の「日々の演習」の
概念解説のページがコンパクトにまとまった辞書がわりでした。
(概念の再整理にはちょうど良かったですね)。

英語の本を読むためには英和辞典が要ります。
それと同じように数学の教科書を自力で読むときにも、
既出の概念(たとえば三角関数の積分のページを読むときには、
一連の三角関数の基本公式)を簡単に参照できるような辞書が必要ではないか
と思うのです。(授業では例えば「加法定理おぼえてるかー」みたいな
注意喚起の一言を教師が言えるけれども、自習ではそこへ注意を向けさせる
「指導者」相当のものがない。)

矢野健太郎の「公式集」しかないなぁ。
「辞書」のニーズは本当に無いのでしょうか?<>ud037.are.ous.ac.jp/dailylog.htm<>60<><>22<>$1$p3$Lsqvm4Or/T7i4qb0FTQHT/<>221.119.252.61<>1078268983<><> 25<>2004/03/01(Mon) 14:37:29<>chief<><>Re[3]: 教科書とリファレンス(その他)<>続きです。
上のレスで述べたように、日常、主として使われる教材としては「検定教科書」「教科書傍用問題集」「参考書」の3種類があります。

上記3種類の教材を「軸」とするならば、枝葉の部分の教材というのも存在します。以下、それら「その他の副教材」について述べてみたいと思います。

(3)受験用問題集
これはいわゆる「入試問題」を集めた問題集です。また、このタイプは更に「センター試験対策問題集」と「記述試験対策問題集」に大別することが出来ます。
このタイプの問題集は、多くの高等学校では早い学校では高2の途中、普通は高3から受験で数学を選択する予定の学生を対象とした「入試問題演習」の授業で扱うはずです。

(4)長期休暇・週末課題用問題集
これはいわゆる「薄物」の問題集です。これなどは「厚物」である「主たる教材」だと最近の生徒は量に圧倒されてしまうので、薄い問題集を数多く与えていくという最近の傾向が強く出ている教材だと思います。
また、これと同じ目的としては教師が作る「プリント」の類もこのグループに入ってくると思います。
夏休みの宿題とか週5日制が始まった関係で土日に勉強させるために、薄めの問題集を主たる教材とは別に使用することが最近増えているようです。

今の高等学校では、大体これら4タイプの副教材を生徒の実情に合わせて最適と思われるものを選択し、組み合わせつつ指導が行われているのが実情ではないかと思います。

ここで、一ついえることがあるとするならば、現在高等学校で使われている「教材」というのは程度の差こそあれ、基本的には「問題を解く」ということを重視した教材ばかりが使われている、といえるのではないかと思います。
確かに、高校生にとって数学というのは受験の一科目であり、最終的な目標が「入試問題が解けるようになること」となってしまうでしょうから、それはある意味当然であり、仕方のないことでもあると思います。
しかしながら一方で「なぜ高校で数学を勉強しなければいけないのか」という疑問を持つ学生が多いこともまた事実でしょう。
多くの学生がそのような疑問を持つは原因は、おそらく今の高等学校で学ぶ数学があまりにも「問題を解く」ことに特化してしまっているからだとも考えられます。

一般論として「問題が解ける」ようになれば多くの学生は、その科目に興味を持つでしょうから、導入の段階で「問題を解く」というテクニカルな部分に指導の重点を置くことは大切だと思います。
しかし、ある程度問題が解けるようになったとき、今解いている問題にはどのような意味があるのか、またそれがどういった先人の努力、発見の連綿とした積み重ねの結実であるのか、こういった「高校数学の背景」を知ることもまた大切なのではないかと思うのです。
しかしながら、現状では様々な制約から学校の授業ではそこまで扱えないのが実態でしょうし、多くの学生は少しでも多くの問題を解き、点数を取ることにやっきになっているので、そういったことに目を向ける余裕がないというのが実情なのかもしれません。<>www003.upp.so-net.ne.jp/chief/<>45<><>22<>$1$pz$qa3xZ3.loIakdEkTxJD8E.<>61.211.48.247<>1078119449<><> 24<>2004/03/01(Mon) 14:19:50<>chief<><>Re[2]: 教科書とリファレンス(日常、主として使われる教材について)<>tadさん、あらき先生こんにちは。

現在、多くの高等学校では「検定教科書」が「教科の主たる教材」として使われております。
しかしながら先のスレッドで示させていただいたように検定教科書を取り巻く様々な制約からくる不便な点を解消するために、また限られた時間で効果を挙げるために当然ながら様々な種類の「副教材」が使われています。
以下、高等学校で一般的に使われているであろう「副教材」について取り上げてみたいと思います。

(1)教科書傍用問題集
これは言葉通り、教科書と併用して使用することを目的として編集されている問題集です。これは高等学校で使われるであろう「副教材」のなかではもっとも使用される確率が高いタイプの問題集ですから、実に色々なレベル、構成のものが存在します。
ただ、一般的には「検定教科書で取り上げられている基本事項の反復練習をさせるための問題量を得るため」、すなわち計算ドリル的な使い方が一つ、もう一つは「指導要領、並びに教科書検定による制約で扱えないタイプの問題を補足する」という2つの役割が「教科書傍用問題集」には期待されていると考えていただいてよろしいかと存じます。

(2)参考書
これは数研出版の「チャート式」に代表されるタイプの書籍です。
基本的には指導要領で定める「科目(数学1、A、2、B、3、C)」にそって、基本事項のまとめ→例題とその反復問題→発展問題といったような構成になっているのが特徴です。また、このタイプの書籍が「問題集」でなく「参考書」と呼ばれる所以は、ご存知の通り、基本事項や例題などに公式の証明、解法のポイントといったような「解説」が記述されている点です。(教科書傍用問題集は基本的に類問が解説付きで検定教科書にあるので、解説はほとんどないし、またあまり必要もない)

では「教科書傍用問題集」と「参考書」はどう違うのか、を考えますと、一つには問題を収録する方針に違いが見受けられます。

「教科書傍用問題集」は先に述べたように「計算ドリル」的な要素がどうしても強くなるので、収録されている問題も基本的な、反復練習用のいわゆる「小問」の比率が高くなります。
逆に「参考書」はそういった基本的な問題も一通り扱っていますが、似たような問題を「反復練習」させて定着を図るというような考え方ではなく、「受験数学」における代表的な問題パターンをもれなく網羅し、一つ一つに解説をつけるという形になります。

言い換えるなら「教科書傍用問題集」は「問題量は多く、問題パターンは少ない」、「参考書」は「問題量は少ないが、問題パターンは多い」というような形が見られます。
また、先に述べたように「教科書傍用問題集」は「問題量」を「参考書」は「解説」を重視しているといえるのではないかと思います。

この2つの副教材と検定教科書が日常よく使われる教材ということになると思います。<>www003.upp.so-net.ne.jp/chief/<>30<><>22<>$1$p2$s3rUf.NtRrQe5VJ.k4Tqn1<>61.211.48.247<>1078118390<><> 23<>2004/02/29(Sun) 15:17:16<>tad<><>Re[1]: 教科書とリファレンス<>あらきけいすけ先生,新しいスレッドの立ち上げありがとうございます.

「ひとつの教科書で済ませたい」という流れは総論賛成,各論まとまらずという感じです.今後の議論でその教科書の中身を明確にする必要があると思います.(いずれ問題が煮詰まってきた段階で,またスレッドを立てる予定です.その段階で「成長するティップス先生」が役に立つと思います).

さて,「数学教育の現場の場合には、リファレンス(参照用文献)に対応するものがあるのでしょうか?」というスレはもう一つの見方ですね.確かに「現在の教科書」を補うリファレンスが実質的には「自学自習のできる教科書」であるという方策もあると思います.

私は高校の教壇に立った経験がありません.高校時代には問題集を与えられたと記憶しています(費用の制約が大きかったようです).このHPには高校の先生もたくさんいらしゃっております.リファレンスについての取り組みや考え方を聞くほうが適切でしょう.どなたかお願いします.<><>15<><>22<>$1$pS$ARs3rHnJ6L7JLvpL/sTHn/<>219.125.108.143<>1078035436<><> 22<>2004/02/29(Sun) 10:10:10<>あらきけいすけ<><>教科書とリファレンス<>「自学自習のできる教科書」スレッドがしめに入ったようなので新規投稿します。

議論の流れが「ひとつの教科書で済ませたい」という流れになっていたように思われます。

英語の学習を考えると「教科書」以外に「文法書」「英和・和英辞典」、
社会の学習を考えると「教科書」以外に「地図帳」「年表」などのように
必ずリファレンス(参照用文献)が存在します。

数学教育の現場の場合には、それに対応するものがあるのでしょうか?
あるとして、それを積極的に活用している例などありましたら、教えてください。<>ud037.are.ous.ac.jp/dailylog.htm<>0<><>0<>$1$pY$kpJWGDPPtKEc7GxaQ3mDG1<>221.119.252.61<>1078017010<><> 19<>2004/02/26(Thu) 01:10:32<>tad<><>Re[1]: 「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには?--まとめ<>● なぜ「薄い」検定教科書が生まれてくるのか のまとめ.

chief さんの詳しい分析の結果,現状の (1)指導要領,(2)教科書検定,(3)教科書の定価 においては検定教科書は薄くならざるを得ない.よって,「自学自習のできる詳しい教科書」を検定教科書にすることは望み薄である.


● 「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには? のまとめ.

「自学自習のできる詳しい教科書」の内容が明確で無いために,焦点が定まらず,雑感のような感じになってしまった.申し訳ない.内容が明確にならないと,どう使わせるかもハッキリしない.内容についての議論は十人十色と思われるので,一時保留しておいてまたスレを立てることにしましょう.<><>15<><>2<>$1$o4$8bziKdOV9pq3vUA11bAKE/<>210.234.194.183<>1077725432<><> 18<>2004/02/24(Tue) 19:30:42<>こなみ<><>Re[8]: 最近は、大学受験で推薦で決定する生徒さんもいるので<>>  うちのサイトにも、先日、「こちらのサイトやこなみ先生のサイトの
> PDFファイルを見ておくと大学の予習になるのか」という主旨の書
> き込みがあり、大学の、特に数学科を希望する生徒さんにとっては、
> 高校から大学への橋渡し的な話が書かれている平易な本があるといい
> な〜と感じました。

(適当に改行を入れさせていただきました)
えっと、私の書いているものは、大学の数学の予習にはならないんじゃな
いかなぁ(苦笑)。もちろん、大学で学習する内容とのつながりはかなり
意識してはいますけど。

>  高校時代には、とかく受験のテクニックとしての数学に魅力を感じ、
> 数学科を志す受験生もいようと思いますが、大学の数学を見て根本か
> ら問い直す数学の学び方に精神的なショックを受ける人も多いですか
> らね。そういう受験生や、最近特に増えてきた推薦で数学科に合格す
> る人たちの残りの高校生活を送る際の副読本的な存在としての読み物
> としても、ニーズはたくさんあるように感じました。

そうとっていただけるのは大変うれしいですね。

高校時代、授業担当ではない数学の先生と仲良くなって、2年生から3年生
にかけて群論の本をセミナーしてました。そのときのショックは大きなも
ので、大学に入ってすぐ友人を誘って、セミナーを始めたものです。ちな
みに私も推薦で大学にはいった口です。

そういったことも、書いているときには意識しています。その意味では、
ショックをやわらげる効果は少しは期待できるかも。

>  そういう橋渡し的な内容が書かれているこれらのホームページが持つ
> 社会的な存在意義は大きいのではないか、と思います。私も期待して
> います。頑張ってください。

ありがとうございます。<>www.h2.dion.ne.jp/~ykonami/<>120<><>2<>$1$os$3pFz.gCtFtdc0DFyXJ5IM0<>211.5.59.32<>1077618642<><> 16<>2004/02/24(Tue) 02:38:47<>tad<><>Re[8]: 最近は、大学受験で推薦で決定する生徒さんもいるので<>baccy さん,元気づけありがとうございます.スレッドは立てたものの,突破口を開くのはなかなか難しいなあと感じて,あちこち調べていたところです.baccy さん受験数学掲示板にも立ち寄らせていただき,それらしきスレ(「以前お世話になったものです」)を見つけました.

確かに,こことこなみさんのPDFは“大学の数学を見て根本から問い直す数学の学び方に精神的なショックを受ける人”を救うのには役立つと思います.ただ私としては大学にはいる為だけにしか役立たない“受験のテクニックとしての数学”をしないで済む高校数学のあり方はないかと思う訳です(殆ど自省に近い).近いうちにここのスレッドのまとめをして,新たなスレを立てるつもりです.

なお,『高校数学+α:基礎と論理の物語』は大学の数学科に入る人の為だけに書かれたものでは無く,大学の理系一般に進む人の為に書かれました.(私は物理学科--素粒子論専攻です).あとの章を読むと,数学ぽく無いと思います.こなみさんのものはまさに数学専攻希望者に相応しいです. <><>120<><>2<>$1$oN$n1MTRhCKYgK3wVywWaPyF1<>211.134.26.205<>1077557927<><> 15<>2004/02/24(Tue) 00:30:35<>baccy<>baccy@mb.infosnow.ne.jp<>最近は、大学受験で推薦で決定する生徒さんもいるので<> こんばんは。
 うちのサイトにも、先日、「こちらのサイトやこなみ先生のサイトのPDFファイルを見ておくと大学の予習になるのか」という主旨の書き込みがあり、大学の、特に数学科を希望する生徒さんにとっては、高校から大学への橋渡し的な話が書かれている平易な本があるといいな〜と感じました。

 高校時代には、とかく受験のテクニックとしての数学に魅力を感じ、数学科を志す受験生もいようと思いますが、大学の数学を見て根本から問い直す数学の学び方に精神的なショックを受ける人も多いですからね。そういう受験生や、最近特に増えてきた推薦で数学科に合格する人たちの残りの高校生活を送る際の副読本的な存在としての読み物としても、ニーズはたくさんあるように感じました。

 そういう橋渡し的な内容が書かれているこれらのホームページが持つ社会的な存在意義は大きいのではないか、と思います。私も期待しています。頑張ってください。<>www.infosnow.ne.jp/~baccy/<>105<><>2<>$1$oB$I1ytAAvwfoGHB/52AgNJt1<>61.121.44.53<>1077550235<><> 13<>2004/02/21(Sat) 20:37:46<>こなみ<><>Re[6]: 「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには?<>ゴミレスで、ごめんなさい。先の発言でつけた、URL の一部が全角でした。<>www.h2.dion.ne.jp/~ykonami/<>90<><>2<>$1$ok$b0AFif8CxPo3lZsaeLPEm.<>210.251.47.141<>1077363466<><> 12<>2004/02/21(Sat) 20:33:32<>こなみ<><>Re[5]: 「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには?<>> 現在の教科書は決して満足できるものではない.「自学自習のできる詳しい教科書」があれば望ましい.ここまでは我々の共通認識として良さそうですが,そこから先が難しい.

そうですね。

> 「中学・高校で使わせるには?」に応えるには,やはり,その内容が大切でしょう.
読んでいて面白い→知的好奇心をくすぐる
が絶対なのだが,その書き方が難しい.私のものやこなみさんのものは,今のところ,高校生にはレベルが高いようだ.

生徒の知的な欲求はさまざまですし、レベルもさまざまです。それらすべてに
対応できるようなものは不可能でしょう。

私がひとまず今書いているような内容にしているのは、それがもっとも書きや
すいからです。

たとえば、「やさしく書く」というのは、言うのは簡単ですけど、いざ書く
となると…。

私が望んでいるのは、さまざまな形態、レベル、書き方のものが数多く現れる
ことです。そして、学習する側はその中から選ぶ。まず多くの受け皿がなけれ
ばどうにもならないんじゃないかな、と思うしだいです。

> (こなみさん.書き込み[10]を編集して,URLを書き込んでください.)

編集方法がわからないので、この発言につけておきます。
<>www.h2.dion.ne.jp/~ykonami/<>75<><>2<>$1$om$uBKfSn63Bb8Cga5ebRk481<>210.251.47.141<>1077363212<><> 11<>2004/02/21(Sat) 14:37:51<>tad<><>Re[4]: 「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには?<>baccy さん,こなみさん(ここでは“さん”付けで),書き込みありがとうございます.baccy さんへの回答がやぶ用(→see ゲストブック)で遅れてしまいました.

現在の教科書は決して満足できるものではない.「自学自習のできる詳しい教科書」があれば望ましい.ここまでは我々の共通認識として良さそうですが,そこから先が難しい.

「中学・高校で使わせるには?」に応えるには,やはり,その内容が大切でしょう.

読んでいて面白い→知的好奇心をくすぐる

が絶対なのだが,その書き方が難しい.私のものやこなみさんのものは,今のところ,高校生にはレベルが高いようだ.

今日はここまで.

(こなみさん.書き込み[10]を編集して,URLを書き込んでください.)<><>60<><>2<>$1$oV$pzDAXsxsiAxi.a1.48KGj1<>211.134.175.91<>1077341871<><> 10<>2004/02/21(Sat) 13:41:12<>こなみ<><>Re[3]: 「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには?<>こなみです。ここでははじめましてですね。

私が書き始めた直接の動機は、「読んで勉強できる教科書がない」
ということでした。今から10年近くも前のことです。

その当時に出ていたもので、読むに耐えると感じたのは松坂先生の
「数学読本」でしょうか。これは今でも手に入りますが、それでも
ページ数の制限から、説明は簡潔ですね。でも6巻で1000ページ以上
ありますね。

私が目指しているものも、松坂先生のような作品でしょうか。少し
入試を意識しているところがちょっと違うかな。<><>45<><>2<>$1$oO$shOJjQ3eFuRW.0l3sx6G5.<>210.251.47.177<>1077338472<><> 9<>2004/02/20(Fri) 06:19:03<>baccy<>baccy@mb.infosnow.ne.jp<>外国の教科書は分厚い<> いつか、桐原書店の方が見せてくれたのですが、アメリカだったと思いますけど、かなり分厚い教科書だったことを鮮明に覚えています。ハリーポッターの本ほどではありませんが、イメージ的には、あんな感じの・・・。

 とはいえ、アメリカの学力がだからといって決して高いとは言えません。
 アメリカのいつかの学力がかなり下がったという話ではありませんが、日本も同じ道を歩んできている気がしますね。それはどういう意味かといえば、勉強をする姿勢が変わってきているということなのでしょうか。豊かさが勉強をするのを阻害しているのかなと思い、残念に思うことはありますね。
 勉強をすることによって身を立てる的な時代ではありません。知的好奇心で勉強をする意欲を駆り立てられれば、本来的には良いのでしょうが、それができるほど、今どきの生徒は勉強に興味を示さない高校生が多いのが残念ながら現状なのかもしれません。
 それをどうにかするのもいち個人レベルでは不可能でしょうし・・・。

 その話でまとめてしまえばすべての会話がそれでおしまいになってしまうか・・・。<>www.infosnow.ne.jp/~baccy/<>45<><>2<>$1$oh$TwmrAX7978BsVHyZD3s.o/<>211.133.13.137<>1077225543<><> 8<>2004/02/19(Thu) 00:38:59<>tad<><>Re[2]: 「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには?<>「内容の充実した、生徒が自学自習のできる詳しい教科書」があったとしたら,どこが詳しくなるのだろう.
 手持ちの教科書をパラパラ開いてみる.まず定義が書かれている.無駄が全くない,しかし非常に慎重な書き方で,それに難癖を付ける余地は皆無だ.だが,全く書いてないことがある.それは

何故そのように定義してあるかだ.

したがって,「詳しい教科書」は“定義の背景”について言及しなければならない.

 手持ちの教科書は定義のあと,極簡単な例題をやってすぐに練習問題にはいる.定義の表現が抽象的だから,
生徒がイメージを作るには例題が全然足りない

したがって,「詳しい教科書」は“豊富な例題”があるはずだ.

 もし,「詳しい教科書」を教師が教えるとしたら,上の上記2点を丁寧にやって,後は生徒に任せるというのが理想形か.

 あとは生徒のやる気に“点火する”必要があるが,吉田 武 著『虚数の情緒−−中学生からの全方位独学法−−』では
と言っている.う〜む.これは難しい.

 今日はここまでとしよう.<><>30<><>2<>$1$nt$NZE.wMJu03rnAHh3/hYTW1<>211.4.55.99<>1077118739<><> 5<>2004/02/17(Tue) 15:44:07<>tad<><>Re[1]: 「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには?<>このスレッドは問題の本線

「内容の充実した、生徒が自学自習のできる詳しい教科書」を現場で使うにはどうしたらよいのでしょうか?

に絞って議論しましょう.

具体的にどんな教科書ができるかにも依ると思いますが,私の<<理想>>は

“さあ,勉強しよう.分からないところはみんなで考え,それでも分からないときに先生に聞きなさい.”

という線で行きたいなあ.(まだ,頭の整理がつかないというのが本音です)

chief 先生は独学のアドバイスをしておられるのでその道のプロ,お知恵を拝借したいなあ.
<><>15<><>2<>$1$n3$E2dvLLGD.iIEoXjD2F3xy.<>211.4.55.99<>1077000247<><> 17<>2004/02/24(Tue) 16:54:03<>tad<><>Re[4]: なぜ「薄い」検定教科書が生まれてくるのか(教科書検定に関する豆知識)<>chief さん,書き込みありがとうございます.(baccy さんのものに目が行ってうっかりしておりました.ごめんなさい).

chief さんの「検定教科書の内容が薄い」ことの分析は,裁判の検察調書を見るように緻密で,誰も反論の余地はないでしょう.「指導要領+教科書検定」がいかにがんじがらめにしているかは,引用されている「教科用図書検定基準(抜粋)」を見るとよく判りました.日比谷高校がダメになったのもこのせいなのでしょうか.

chief さんの分析は,現状においては,「自学自習できる詳しい検定教科書」は不可能であることを示しています.したがって,考えられる方向は

(1)「指導要領+教科書検定」の現状を打破する.
(2)非検定教科書に甘んじる.

の2通りですが,(1)を行うことは長く苦しい戦いになりますね.

このスレッドはかなりごちゃごちゃしてきましたので,この辺でいったんまとめておきたいと思います.近々まとめのレスを書きます.
という訳で,次の「現在の「検定教科書」の批判」の方は新しいスレッドを立ててください.そのときに今までの要約を(コピー→貼り付けなどして)載せていただければ幸いです.
なお,この掲示板は chief さんのHP 等のようにタグがかなり使えますので,分析用の資料を紹介するときなどに便利でしょう.<><>60<><>2<>$1$oB$DC.BhLByNIqrWkiG8r3lt1<>211.134.26.205<>1077609243<><> 14<>2004/02/23(Mon) 22:24:01<>chief<><>Re[3]: なぜ「薄い」検定教科書が生まれてくるのか(教科書検定に関する豆知識)<>tadさん、ひさびさに書き込みさせていただきます。
今回は、「教科書検定」について考えてみたいと思います。

「検定教科書の内容が薄い!」という批判をする人々の多くは、「指導要領が良くないからだ!指導要領を変えるべき!」と考えているように感じます。特にマスコミの論調の多くがそうであるように思います。
でも私は思うのです。「検定教科書が薄い」のを本気で改善したいのなら、指導要領だけ変えても意味はないと。
なぜなら、「検定教科書」は指導要領に沿って作られているのは事実ですが、具体的な記述の内容は「教科書検定」によって制限されているからです。
ゆえに、指導要領の変更と教科書の「検定基準」を一緒に変更しないことには、検定教科書を「自学自習できる詳しい」ものに改善することはかなわないのです。

ここで「検定教科書」が薄くなるように規定していると思われる「基準」について取り上げたいと思います。逆に言えば、これらの制限が緩和されることが「自学自習の出来る詳しい」教科書を実現することにつながるはずです。

教科用図書検定基準(抜粋)
(範囲および程度)
(2)本文,問題,説明文,注,資料,作品,挿絵,写真,図など教科用図書の内容には,学習指導要領に示す目標,学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして,不必要なものは取り上げていないこと。
(3)図書の内容は,生徒の心身の発達段階に適応しており,その能力からみて程度が高過ぎるところはないこと。

(選択・扱い及び組織・分量)
(5)図書の内容は,厳選されており,網羅的,羅列的になっているところはないこと。
(8)図書の内容(学習指導要領に示していない内容を除く。)は,全体として系統的・発展的に組織されており,学習指導要領に示す標準単位数に対応する授業時数並びに学習指導要領に示す内容及び学習指導要領に示す内容の取扱いに照らして,全体の分量及びその配分は適切であること。
(11)学習指導要領に示していない内容を取り上げる場合には,それ以外の内容と区別され,学習指導要領に示していない内容であることが明示されていること。

ここで私が取り上げたのはほんの一部分に過ぎませんが、検定教科書というのはこのように「指導要領」と「教科書検定」にがんじがらめに縛られているのです。
このあたりの事情を詳しく調べていくにつれ、私は最初に述べた結論「検定教科書は様々な制約があるの中で、可能な限りの工夫が凝らされた良く出来た本だ」という感を強く持つようになっております。

次は、現在発行されている「検定教科書」には今まで述べてきたような制約があることをふまえたうえで、現在の「検定教科書」の批判を行いたいと思います。<>www003.upp.so-net.ne.jp/chief/<>45<><>2<>$1$oX$t/97Fd7nsW7K9IJsSXjRu.<>218.221.72.181<>1077542641<><> 7<>2004/02/18(Wed) 23:32:51<>tad<><>Re[3]: なぜ「薄い」検定教科書が生まれてくるのか(検定教科書に関する豆知識として)<>chief さん,今晩わ.tad です.

>「検定教科書」は(1)検定教科書の「厚さ」,(2)「教科書の定価」(定価はすべて同じ)等の「制約」がある.
>「内容の充実した”厚い”検定教科書」を実現させるには多くのハードルが待ち受けている.

ほんとそうですね.
しかしながら,「内容の充実した”厚い”検定教科書」は生徒の為になる,というのは私たちの共通の認識です.がんばりましょう.

<><>45<><>2<>$1$nt$NZE.wMJu03rnAHh3/hYTW1<>211.4.55.99<>1077114771<><> 6<>2004/02/18(Wed) 00:52:46<>chief<><>Re[2]: なぜ「薄い」検定教科書が生まれてくるのか(検定教科書に関する豆知識として)<>tadさん、こんばんは。chiefです。
まず、個人的な意見なのですが、現在発行されている「検定教科書」というものは様々な批判があるにせよ、高校数学の基本を学ぶには非常に良く出来た本だと私は思っています。ただ、検定教科書というものは様々な「制約」がありますから、その制約からくる弱点があり、それゆえ批判を絶えず受けていると思うのです。

しかし、私は「検定教科書を批判する人は検定教科書にまつわる制約をどこまで正しく理解して批判をしているのだろうか」といつも思っています。
もちろん私もそれらの制約すべてを理解しているわけではありません。
ただ、そういった制約の存在を知った上で検定教科書を見直してみると色々なことが見えてくるのではないかと思います。
そこで私が知っている「検定教科書にまつわる制約」について述べてみたいと思います。これについては一気に書くのが難しいので、徐々に書き足していきたいと思っています。

(1)検定教科書の「厚さ」というのは科目が同じならどの出版社のものでもほとんど一緒である。
実際、進学校でよく使われているであろう新課程の数学1の教科書を比べてみると以下のようになります。

数研出版 数学1・・・160頁
数研出版 新編数学1・・・152頁
東京書籍 数学1・・・152頁
啓林館  数学1・・・152頁
啓林館  新編数学1・・・152頁

書籍というのは製本の関係で8の倍数か16の倍数になるのだそうですが、それにしても、このように出版社が違っても教科書の「厚さ」はどれもほとんど一緒です。
これはなぜなのでしょうか?
実は、この事実は検定教科書には事実上「ページ数」に上限があるという制約が存在することを示しているのです。

では、どうしてこのような制約が存在するのでしょうか?
一つには、「今までは」教科書検定によって、指導要領の定める範囲に収録内容が絞られていたということがあると思います。元が一緒なら、厚さも一緒になるというわけですね。
このことは一般にも良く知られた制約だと思います。

しかし、それだけなら出版社ごとに特色を出すことも可能なはずですよね?
例えば、それが教科書として適切かどうかは別として、昨今の参考書よろしく、記述内容を懇切丁寧に解説するとかするなど、同じ内容を扱うにしても出版社ごとの個性が出せるはずで、ページ数にもっとばらつきがあっても良いはずです。

しかし、現実にはページ数はほとんど一緒です。なぜなのでしょうか?
ここで出てくるのが、(2)「教科書の定価」という問題です。
これについては意外に知られていないのですが、実は同じ科目なら、どの出版社の教科書を購入しても定価はすべて同じなんですね。
これは、検定教科書の定価は科目ごとに「文部科学大臣が認可し官報で告示した」もので統一されているからです。しかもこれが1ページあたりの値段で一般の書籍と比べるととても安いのです。
また、これは義務教育である小学校・中学校は教科書が無償配布、すなわち税金で賄われているのですから、問題は更に複雑になります。

これは私の推測ですが、出版社側としては、例えば丁寧に解説するために頁を多くするとか、多色刷りにするとかの工夫をしたくても、定価が決まっているために、かけられる経費が自ずと制限されてしまうわけです。

他にも理由はあるのでしょうが、大体このような制約から、検定教科書というのはまず、箱の大きさが決まってしまっていて、その決められた箱の中で、更に教科書検定という内容の制約を受けるという、いわば2重の制約を受けているわけです。

よって、「内容の充実した”厚い”検定教科書」をただ望むなら解決策は簡単です。
まず、教科書検定での内容の制約については、最近は「指導要領は最低基準」ということとの整合性を取るために「発展的な」内容も制限付きながら認めるということが行われつつあるようですから、これについては新課程は一歩前進したといえます。

よって、もう一つの制約である、教科書の定価を科目によって統一するのをやめることです。そして義務教育については教科書の無償配布制度を止めることです。

そうすれば「内容の充実した”厚い”検定教科書」への道は開かれると思います。逆に言えば、これなくしては実現はありえないでしょう。

ただ、「教科書を厚くせよ!」ということは簡単です。
しかし、それを実現するには、実に多くのハードルが待ち受けているということです。まず、このことを背景知識として知っておくことは大切なのではないかと思います。<>www003.upp.so-net.ne.jp/chief<>30<><>2<>$1$no$C0alrwWeckLUhmkm4HyD30<>218.221.76.192<>1077033166<><> 4<>2004/02/16(Mon) 15:49:41<>tad<><>なぜ「薄い検定教科書が生まれてくるのか」<> chief さん(ここではそう呼ばせてください.私は tad ということで)早速の書き込みありがとうございます.書き込みの日付を見てびっくりしてしまいました. chief さんの並々ならぬ意気込みを感じます.早速剛速球が飛んできましたね.

chief さんの今日の議論をまとめてみると,

    なぜ「薄い検定教科書が生まれてくるのか」

についての分析から始めよ,ということですね. chief さんの分析結果、

「教科書検定」
「週5日制実施による授業時数の削減」
「義務教育である中学と高校との連携の難しさ」

に加えて,私の時代の 「詰め込み教育の弊害」 も挙げられるかもしれません(私の歳が分かってしまいますね.300ページを超える日本史や世界史の教科書を鞄に入れて持ち歩いていたのを思い出しました).当時の文部省はそれでかなり叩かれたようです.私自身は詰め込みとは感じませんでしたけど.

もっと情報を持っている方の書き込みも待ってみましょう.どなたか,お願いできますか.

議論の本線と支線を分けるために,Title を変えておきました.<><>15<><>2<>$1$nf$2XUnHLCyE9hT/zAtN6F9./<>211.4.55.99<>1076914181<><> 2<>2004/02/16(Mon) 00:14:09<>chief<><>「自学自習のできる詳しい教科書」を中学・高校で使わせるには?<>宮腰先生、僭越ですが、早速スレッドを立てさせていただきます。
表題の「自学自習のできる詳しい教科書」を仮に中学・高校で使わせるのが、現在の「学力低下問題」を解決のためのひとつの手段であるとします。
しかし、現状では「内容の薄い検定教科書」が現場では使用され続けております。

非常に単純な発想ですが、では「内容の充実した、生徒が自学自習のできる詳しい教科書」を現場で使うにはどうしたらよいのでしょうか?

そのことを考えるには、なぜ「薄い検定教科書が生まれてくるのか」ということの背景について議論を深めておくことは有意義なのではないかと考えます。

この問題の背景には、「教科書検定」「週5日制実施による授業時数の削減」「義務教育である中学と高校との連携の難しさ」など様々な問題点があると思われます。他にも問題点はあると思います。

参加者の皆様とこれらの諸問題について議論を深めていくことが出来ればよいなと考えております。よろしくお願いいたします。<>www003.upp.so-net.ne.jp/chief<>0<><>0<>$1$nb$dr8HXfwCKOO0NxbhkYrUi.<>218.221.76.192<>1076858049<><> 1<>2004/02/15(Sun) 20:20:57<>tad<><>テストです<>高校の<授業> v.s. 大学の<講義> 議論板です.テストしました.

上の「新規投稿」をクリックして新しい議論を始めてください.
タグについては「HELP」をご覧ください.<><>0<><>0<>$1$nz$oyDuK7V4SQzk7/rFU/Xoc0<>220.214.44.97<>1076844057<><>