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□ 始めに

 ある年の最初の授業は遅刻者が多く,彼らを待つ間,基礎的なことの話でもするかと,負数の演算について話し出した.“マイナスのマイナスはプラス”,“負 × 負は正”だね.な〜ぜ(何故)だ.その日はそれらを解明するつもりはさらさら無く,“そうなるように数学は創られているのだ.文句あっか(あるか)”.てな調子でやったら,なんとこれが馬鹿受け.その日の授業はチョー(超)ノリノリであった.

数学の基礎事項については中学校で習いますが,それらは基本公式として頭に染み込み,普段は無意識のうちに使っていますね.ただし,「負 × 負は正」を理解しているかと君たちに問えば,yes と答える人はまずいないでしょう.この問題は,理解していない公式として,君たちの心のどこかに引っかかっているはずです.私の“負 × 負は正”についての‘迷答’が受けたのも,“分からなくても悩むことはないんだよ”という,とにもかくにもスカッとした答えを与えたからでしょうか.この問題は数学への理解が深まってきたある段階で意識に昇ります.もし本気でこの問題を考えると,これは難問であることが分かります.

数学においては,いうまでもなく,「理解」することが最も重要です.数学を学ぶ人は全員が理解することを目指して勉強しているはずで,“理解なくして向上なし”です.数学は記憶だというのは,理解していなくても何とか試験の点数だけは取りたいという欲から出てくるわけですが,実際には,その勉強法が通じるのはかなりの理解が出来ていてさらに要領よく勉強したいときであり,理解しているときに初めて記憶も容易になります.

ところで,理解するとはどういうことでしょうか.「理解の仕方」を敢えて分類してみると,2つの方法があるように思われます.1つは,「なるほど納得」式の“極自然であると感じる”ようにする方法.もう1つは,感覚的には完全には納得していないが,正しいことから出発して「論理」によって“それ以外にはあり得ない”との結論を得る方法です.

中学校までは,具体的で目に見えるものが対象なので,「なるほど納得」でほとんどのことは理解できます.しかしながら,納得は経験に頼る部分が多く,初めて見るもの・目に見えないものに対してはうまく働きません.そのようなときには,視覚的なイメージ(心象)になるように,比喩や実例を持ち出して何とか納得出来るようにするわけです.

高校にはいると納得だけでやっていくのは無理があります.数学の対象が余りにも抽象的になるからです.特に数学の基礎に関する部分については,例え話のような説明は説得力をもちません.もう1つの方法「論理」も活用する必要が出てきます.「負 × 負は正」の問題は論理によってのみ理解出来るものの典型です-----そうなるように数学を創る他なかった

私が“負 × 負は正”の授業で了解したことは生徒は“そのことを理解したがっている”ということです.そのためには“論理の深淵(しんえん)”に入って行く必要があり,それは大学レベルの高度なものです.一方,センター試験などに代表される穴埋め試験の結果,高校生・大学生の学力低下は知識人の頭痛の種になり,今や「論理的思考能力」つまり「考える力」の向上が強く叫ばれています.その能力は高校生のときに訓練されるべきものです.このような状況を考えた時,“高校生の考える力を養い,そして大学の数学にも自然に結びつく数学参考書はないものか”.そんなことを考えて『高校数学 +α :基礎と論理の物語』は書き始められました.

その目的の為に,先ずこの書の中心課題は数学の基礎に関する論理とその構造におかれました.論理的能力を伸ばすためには,そもそも“論理とは何か”を理解しなければなりません.それも数学で用いられる超厳密な論理です.そのためには物事や言葉の意味を明確に限定する「定義」を強調し,「真に厳密な証明」とは何かを議論する必要があります.それらは第1章で実行されます.「負 × 負は正」を厳密に証明する為に,必要最小限の「公理系」が設定されます.公理系とは証明に必要な全ての仮定が盛られている集合体のことです.そこで君たちは“超厳密な証明”の真の意味を理解することでしょう.参考のために,公理系を用いる論理の行き着く先として,ペアノの公理系(自然数の定義)やヒルベルトの公理主義を紹介しますが,高校生は“そこまでやるか”と思うだけで十分です.

次に,論理を大切にして高校数学の全体を統一的に議論し,その全体像が分かるような書き方に努めました.高校では新たに教わる多くの数学的対象や概念があります.それらに関する基礎事項を明確にし,論理的に物事を進めるためにはそれらについての定義および問題意識が明確になる必要があります.そこで,新たな対象や概念を直感的に納得し易くするための「イメージ作り」もかなり念入りに行い,数学史の話題も取り入れて意識を高めるようにしました.そのことは各章のはじめの部分で感じられるでしょう.

論理的に物事を進めるために,多くの高校生が学校で教わるものとは少々違った方法で議論をすることがあります.それは初めての人には多少難しく見えるかもしれませんが,論理的には非常に明快であり,いわゆる“難問”を解くための高度なテクニックにもなっています.それは実は大学の数学の思考方法であり,暗記に頼らないで問題を解く能力をだんだんと与えてくれます.つまり,君は自分の頭で考えて問題を解くことができるようになるということです.

論理を大切にするということは基礎を大切にすることでもあります.基本となる定理や重要な公式は出来るだけ証明します.実数の連続性,素因数分解の一意性定理,整数論の基本定理,代数学の基本定理,確率の正規分布の積分式など,高校の授業では省略しているものです.厳密な証明では無いものもありますが納得できるものでしょう.そのために大学の知識が必要ならそれも厭(いと)いません.証明に必要な予備知識は全て自前で揃えて自己完結していますので,理解するのに心配はいりません.首尾一貫させるために,大学入試対策で重宝する高級な定理や公式もきちんと証明しておきます.外積,行列の対角化,数列のはさみうちの原理,ロピタルの定理などです.

高校の数学は何のためにあるかといえば,本来それは大学の数学を学ぶための準備事項であって,偏差値を生徒に割り振るためでは決してありません.大学の数学の重要な2本の柱は高校で習う「行列」と「積分」の発展形で,「行列の対角化」と「微分方程式」という分野です.『高校数学 +α 』ではそれらが垣間見える形で議論します.それらはかつては大学入試問題でもしばしば取り上げられていたものです.

この書を楽しく読み進められるように,いくつかの工夫をしました.その1つはこの書を参考書的書き方ではなく,物語風の書き方にしたことです.この書は君に語りかけます.君はこの書と会話をしながら読み進むことでしょう.その間に練習問題もさせられます.もう1つは数学の歴史の記述に力を入れたことです.また,例題や応用に取り上げる問題は,できるだけ意味があるもの,それも歴史的意味があるものを採用しました.インターネットのRSA公開暗号,フィボナッチ数列と植物の関係,3次方程式のカルダノの公式のパラドックス,ゼノンのパラドックス,関数電卓の原理,アルキメデスによる π の近似計算や放物線の積分その他など,盛りだくさんです.その意味でこの書は数学の教育書の役割も持っています.

『高校数学 +α』はレベルが高い参考書ですが,君たちは受験勉強を意識しないで読み進めましょう.知的好奇心が刺激されるままに,書いてある内容を詳細にわたって理解するのです.その方が君の受験勉強にとってもプラスになります.単に問題のパターンや解法を覚えるだけの勉強法はすぐ忘れるし,ちょっと問題を捻(ひね)られると手も足も出ません.理解することを目的にした勉強は“集中力と閃きによって問題を解く”秘術を教えてくれます.読むときは必ず紙と鉛筆を用意して‘精読’を心がけましょう.

以上述べたように,『高校数学 +α :基礎と論理の物語』はちょっと風変わりな数学参考書です.そのために高校生や受験生以外の人にも役立ちます.

近年の授業時間の短縮のために高校数学を全部終わらせずに大学に入学する人が多くなっています.また,最近は問題を解く受験技術ばかりが発達して,数学そのものは理解せずに大学に入学する人が多数派のようです.そのような実態に対し大学はどうかというと,学生の学力低下を嘆くことは嘆くが,その根本的な解決法をまだ見いだしてはいません.例えば,大学の教科書を見ると,その多くはアカデミックであることにこだわり過ぎて,高校との断絶を埋める教育的配慮に欠けています.したがって,大学に目出度(めでた)く入学したのは良いが,大学の講義に接してカルチャーショックを受ける大学生はかなり多いはずです.『高校数学 +α 』は計らずもその断絶を埋める役割を果たすものになりました.大学的発想で高校数学を見直し,大学1年次の講義に直結します.また,一部には数学科に進む人にも役立つ厳密な議論も取り入れています(例えば,いわゆる ε-δ 論法を用いた証明など).

この参考書は高校の授業のレベルより少し高く,また高校では証明なしで用いている定理や公式も証明していますので,高校の先生方が授業や課外活動の参考になされてもよいでしょう.実は,私が『高校数学 +α 』を書き始めた意図の一つはここにありました.また,職業柄,高校数学と一部大学のものをきっちりと学ぶ必要がある人もいるでしょう.この書は自己完結する形で書かれていますので,それこそ“通分の知識”があれば他の参考書なしで読み進められます.

私が密かに期待している読者層は,高校時代の数学は受験勉強だけだったが本当は数学が好きだったというお父さん,あなたです.数学の面白さは,最も大袈裟にいうと,“思考によって宇宙を組み立てる”ような感覚に浸れる充実感でしょうか.単に問題を解くだけの数学から解放された今,本当の数学の面白さを楽しんでみませんか

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